
ワーママとして子育てしていると「量より質だよね!」みたいな言葉に慰められることがありつつ、でもそれはちょっと違うんじゃない? と思うこともあります。やはり子どもにはある程度の時間をかけたい。でもかけられない。完璧にできない中で、考え続けるということをしていきたいのです。

クリエイティブの。

反対語。

こんにちは、ストーリーエディターの栃尾江美です。

こんにちは、「子どものみかた」の深松浩子です。

このポッドキャストは私、栃尾江美が好きな人やお話したい人をお呼びして、クリエイティブに関することや哲学的なことを好き勝手に話す番組です。引き続き浩子さんよろしくお願いします。

はい、よろしくお願いします。

はい、私がね常々こう……、まあ常々っていうかぼんやり思ってることがあって。

はい。

なんかもうこれはね、ワーママに対する。

おー、ワーママ。

ワーママに対するパワーワードだと思うんだけど。

はあ。

「子どもの時間って量より質だからね」とかって言われるのよ。

あぁ、はあ、はあ、はあ。

言ってくるのよ、メディアとかが。

うん、うん(笑)。

そんな、だから……、ワーママってそれでなくても罪悪感があるから。

うん。

子どもと一緒に過ごせないみたいなね。専業主婦の人に比べて。

うん。

で、それより圧倒的に子どもと過ごす時間が少ないわけでしょ。

そう、まあ、しょうがないね。

そう。でも、そこをね「罪悪感を感じないで」と、「質さえ高ければいいから」みたいな感じの、あんまり……、何て言うの、「中身の伴わない飾り言葉ではないのか」っていう疑いを持ってるのね(笑)。

(笑)あぁ、「量より質っていうのに疑問を持ってる」ってこと?

疑問を持ってる。それってワーママを慰めているだけで、「建前なんじゃないの?」「本当は違うんじゃない?」みたいな感じ?

あぁ、あぁ、うん。

だってさ、子どもって、濃い時間を過ごさなくてもさ、こう傍にいてさ、ちょっとだけ肌が触れ合って別のことをしているだけでもさ、なんかこう、信頼みたいなものが育まれていったりもするじゃない?

あぁ、うん、うん。

それってさ、大人同士が「濃い話をしたよね」みたいなのと全然違って、その緩やかな長い時間がよいみたいなこともあるなって思ってて。

あぁ、そうねぇ。

だから必ずしも長い時間……、長い時間過ごせばいいってことではもちろんないけど、「短い時間でギュッとやれば挽回できる」みたいなのもちょっと違うんじゃないかなと思ってるの。

あぁ、ギュッとやれば。

(笑)。

ギュッとやればかぁ、そうかぁ。

ギュッとやればって意味じゃないのかな、そもそも。量より質っていうのは。「ガミガミ言うなよ」みたいなこと?

「ガミガミ言うなよ」ってことはないだろうけど、でもまあ、「質としてギュッと」ってことだよね、やっぱり。きっとね。

まあ、そう思ってるんだよね。

その質って言われるものがギュッとしてるってことでしょ? それは(笑)。

ギュッとしてるってことだと思う。そう、そう。

短時間で、っていうことだよね。

うん、薄味じゃないっていうか。

うん、うん。その質を、さっき言った会話、大人だったら「濃い会話したよね」みたいな、「有意義な時間を過ごしたよね」みたいな。

そう、そう。

ことがあったとしても、子どもにそれだけの、楽しいっていうのはやっぱりあると思うけど、「有意義な会話をしたよね」みたいなことは、そんなに意識するかっていうと、意識はそんなにないとは思う。

そうだよね。で、まあ、楽しい時間一緒に遊ぶっていうのもさ、それなりに時間かかるし。

うん。

それでいて子どもに何が残るかって言ったら、一緒に遊んでくれたっていうのもあるけど、どっちかっていうと「このゲーム、サッカー楽しかった」みたいな感じの残り方だったりしてさ(笑)。

(笑)。

なんかそういう……、まあ、何が言いたいかっていうと、まあ、なんかさ、「量より質が良ければいいでしょ」みたいな開き直りじゃなくて。

うん。

イチゼロじゃなくて、働いてるからにはやっぱりちょっと犠牲にしている部分があるっていうのを、ちゃんと自分で受け止めた上で、それでも働くし、まあ、子どもの時間をある程度犠牲にしてます、みたいな意識で自分を赦すみたいな感じのほうが健全じゃないかなと思うんだよね。

そうね……、そうね。

うん。「いっぱい働いてるけど子どもと楽しく過ごしているから、何の罪悪感もありません」とかじゃなくて。まあ、罪悪感を感じる必要はないけど。

うん。

「私はそれなりに理由があって、子どもの時間をこれだけにしています」みたいな。

うん。

うーん……、なんて言うかな。

罪悪感……はもちろん、何だろうな、抱かないでいてほしいと私は思っちゃうんだけど、ママだって、ワーママ? ママだって、ママ以外の面もある一人の人間だから。

うん、うん、そうね。

そういう意味で、自分が「人生をかけてやりたい」とか、そこまでじゃないとしても、「外に出る時間が欲しいんです」って言う人ももちろんいると思うし。

うん。

で、それと、例えば「愛してない」とか、「思ってない」とかってこととは話は全然違うから。

うん、うん。

私すごい思うのが、「自分を大切にできない人って、他人を大切にするの大変だろうな」って思うときがあって。

うん。

「自分の思い込みになるかもしれない」みたいに思うことがあって。

うん。

そういう意味でいうと、何だろう、「子どもとの時間は短くなってます」ってのは、事実あります。でも、それは自分が幸せに暮らすための1つの項目、1つの必要なことなんだとしたら。

うん。

欲しいことなんだとしたら、子どもに正直にいて、いけないってことはないと思うんだよね。

うん、うん。

で、子どもも、じゃあ、ママと過ごせば、ワーキングじゃなかったらずっといるのかって言ったら、お友達とだって遊びに行くし、別の時間も取るわけだし。

うん、うん。

「それはお互い同じじゃない?」と思う。

うん、うん。まあ、確かにその自分を大事にするからこそ、子どもが大事にできるっていうことであるならば、その子どもとの時間をある程度減らして、自分のための時間を取る。それが結果的に子どもに還元されるみたいなことはあるよね。

うん、うん。

それは大いにあるね、確かに。

それで言うと、まあ、質……、量を削ってます。

うん。

でも、量で、だからと言って、正直に本当にいうと、量があるからと言って、これは残念なことだけども、量があるからと言ってすごく子どもが幸せな状態でいるとも限らないってことも実際はあって。

そうね。

そうすると、量があればいいってわけでもないし、じゃあ、質があれば時間はなくていいのかって言うと、さっきとっちーが言ったみたいに、そもそもペースの違う一人の人間だから、時間をある程度確保しなければ、コミュニケーションが取れないってことはそもそもあると思う。

うん、うん、そうだね。

だから、そのコミュニケーションはさっき言ったみたいに話じゃなくてもいいし。

うん、うん。

まあ、子どもに本当に話し合いでっていうのは、難しいところもあるだろうから、言葉が使えないんだったら、なおのこと時間はかかると思うんだよね。

そうだよねぇ。

そう。そうすると、そういう言葉ではない部分で体感するものが多いときの子どもっていう時代であれば、「じゃあ、質があるからいいです」っていう、その質の担保の仕方はすごく難しい。

そうだよねぇ。

うん。だったら、本当に時間が育ててくれるもの。

うん、そう、そう。

が必要になる。っていうか担保、時間を取るっていうことが必要になるだろうなって思うから。

うん、うん、そうね。

これ、パワーワードって(笑)。

パワーワードっていうか、よく使われるんだよな。

うん。「これだからいいよね」って言って……うーん……

そんなシンプルに片付けられるものじゃないよね。

そう、それで、「子どもを観るっていう面をおざなりにするのはちょっとね」って思うというか。

そうだね。まあ、そう、そう。だからって、「どれだけかければ正解なのか」みたいなのもないから、たぶんすごくそこは難しいんだと思うんだけど。

そう、ただ、広い年代の子たちを観てて思うのは。

うん。

あのね、例えば、1つの授業でもいいんだけど、小学生の授業より、やっぱり高校生の授業のほうがやりやすい。

うん。

授業としては。「カリキュラムをやります、こなします」っていう意味では。

うん、うん。

で、それは物分りが良いから。

うん。

言葉が通じるから。

うん。

みたいなところもあって、お互い諦めだったり妥協だったりとか、そういう色んなものがあって、「やりやすい」みたいなことになってしまうんだけど、まあ、私からしたら、やりやすいことが良いこととは限らないんだけど。

うん、うん、わかるよ。

そしたら、学んでる時間は、小学生とか小さい子のほうがかかるんだけど、実際問題、じゃあ学んでる質もどうかっていうと、彼らの中での感覚、五感をどれだけ動かしてるかっていうことで言うと、時間をかけたそっちの方が実際本当に動かしているっていう時期もあるから。

うん。

うーん、時間は年代によっては、本当に、確保できればいいし。

うん、うん。

確保できないんだとしたら、「確保できてない」っていう自覚は持った上で、「削ってるな」って自覚した上で、一緒にいる時間にスキンシップを取るとか。

うん、うん。

のほうが、本当に人として接するとか、っていうコアな接し方をするほうがいいんだろうな、とは思うんだよね。

うん、うん。そうね、もちろん、正解はないんだけど、なんかこういう風に、「これが正解」みたいに言われちゃうと考えなくなっちゃうんだよね。

あぁ。

うん。なんか「量より質があればOK」みたいに言われると、じゃあ、「それでOKだ」と思って、もうそれ以上考えるのを止めちゃうから、それが結構よくないと思ってるのかも、私自身。

うん、うん。

で、時間が足りないなって思ってたら、時間が足りないけどこれを選んでるのか、時間が足りないからもうちょっと増やしたいのかみたいなことを常に考えていく姿勢みたいな。

うん。

そういうのがあったほうがいい、豊かだなと私は思ってるから。

うん。

うん、自分も成長するしね。

うん。

だから、そういう感じなのかもね。ちょっとこの紋切り型の言い方が……(笑)

(笑)ちょっと嫌なのはね。

そう、そう。勝手に決めないでみたいな感じ。勝手に答えを出さないでみたいな感じかもしれないね。

でも、とっちーが言った姿勢で子どもに接してると、迷ってるけど、迷いながらも選んで、考えてるっていうのは、子どもにはきっと伝わるだろうし。

うん。

で、考えてくれてるっていうこと自体は伝わったときには、すごい嬉しいと思うんだよね。自分のことを考えてくれてる、気に留めてくれてるっていう、関心があるっていうことは愛の表現だから。

うん、うん。

それ大切だなって、そうね、そうね、そう思う。

そうね、そう、そう。結構……、あと時間も少ないけど、なんか色々どれが正解だみたいなことをやっぱりさ、メディアとかは書かきゃいけないみたいなところもあって、書きたがるんだけど。

あぁ。

でも、その子どもの時間に限らずね、「不登校の場合、こうやってやったほうがいい」とかさ、「こういう方法がある」とかさ。でも、結局そういうのをずっと考え続けることが価値なのかなという風に思ってるんだよね。

うん、うん。

で、まあ、考え続けてれば変えられるからさ、途中で。

そうだね。

うん。という感じですかね。

臨機応変にできるもんね。

そう、そう、そう。ということですが、えっと、5回に渡り色々お話を聞いて、毎回なんかね私的には深い話でというか、充実した時間でした。

こちらこそ、本当に色々聞けて、話せて良かったです。

うん。じゃあ、学び舎「子どものみかた」。

はい。

頑張りましょう。いつオープンするの?

オープンまだ全然決まってないんです(笑)。

じゃあ、なんか賛同者募集みたいなね。

カリキュラムも本当にもうちょっとわかる形にします。

そうだね。はい、ということで今日は終わりにしたいと思います。以上、栃尾江美と。

深松浩子でした。
<書き起こし、編集:折田大器>

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