これまでアウトプット相談をしてきて、何度も聞いた言葉「私の書くものなんて読みたい人いるのかな」「書いて意味あるの?」「自分だけの日記じゃなくて、わざわざ公開する意味ってある?」。人はやることに「意味」が欲しい。特に大人は。誰かに喜ばれれば意味があるけど、そうじゃないならこんな大したことのないものを書く意味なんてあるのだろうか?
おしゃべりに意味はあるのか? 人の時間を奪うのに
「こんなことを書いて意味があるのだろうか?」と考える人はいるけれど、「おしゃべりに意味があるのだろうか?」と考える人はあまりいない。どちらに意味が必要かと言えば、私に言わせればおしゃべりの方だ。だって、話したいことを話すことで、相手の時間を奪っている。もし意味がないことだったら、こちらの方が罪深い。
つまり、文章をおしゃべりだと思えば、少し気が楽になるかもしれない。
文章は、おしゃべりと違って直せるから、なんだかクオリティをあげたくなってしまう。それがいけない。下手だと恥ずかしい気がしてしまう。でも、そんなことない。誰にとっても完璧な文章なんて、どこにもないのだ。
文章なら、読みたい人が読めばいい。読む人の自由だ
おしゃべりと違って、文章であれば、そこに置いておくだけでいい。好きな人が手に取って、読んだり読まなかったりする。好きにすればいい。その人の自由だ。だからとても罪は軽い。誰かを傷つけない限り、へたくそな文章をインターネット上に置いておいても、まったくもって困る人はいないのだ。
下手だと思われたくない。その気持ちもたくさんの人が持っている。そのせいでなかなか書けないでいる。それはまた、別の機会に解きほぐしていきましょう。
意外と誰も読んでいないから安心して大丈夫
ネット上に何かを書いたとたん、たくさんの人に読まれてしまう気がする。取り返しがつかない気がする。でも、そんな心配はしなくて大丈夫。芸能人でもない限り、書いたとたんにたくさんの人に読まれるようなことはまずない。ほぼない。決してない。
寂しいことかもしれないけれど、実は誰も読んでいない。読んでもせいぜい知り合いの数十人だろう。だからそんなに気にしなくていい。
私自身はなぜ書いているのか?
でも、だったらやはり「なぜ書くのか」というところに立ち返る。誰も読まないのであれば、なぜネット上に書くのか。
私に関して言えば、書きたい欲求があるからだ。自分が書いたものを、残しておきたい。いくつか理由がある。
・思いを発散したい
人とおしゃべりしたいのと同じ。だけど、つまらない話をこちらの都合で聞いてもらうなんて、なかなかに虫が良すぎる。だから、文章に書くのだ。自分が思っていることを外に出すために。
・忘れたくない
人は意外といろいろなことを考えているものなのだ。そして、それをすぐに忘れてしまう。明日の私は今日の私と同じではない。だから私は、今の私を残しておきたい。出来事も同じ。何かの出来事を残しておきたい。なぜなら忘れてしまうから。だけど、人がかかわる場合は勝手に書くわけにいかないから、抽象的にしたり名前を伏せたり、どうしても仕方がない場合には自分しかアクセスできない日記に書く。
・あとから読み返したい
「忘れたくない」とも通ずるけれど、後から読み返したい。「1年前の私は何を考えていたのか」「実はあの時こんなに苦しかったのだ」「あの人のおかげで今があるのだ」そういうことを残しておいたからこそ、読むことができる。そしてそれは自分にとっての極上のエンタメだ。なぜなら、小説を読むときには、主人公に感情移入するためにたくさんの前提やエピソード、背景を知らなくてはならないが、自分の背景は何もしなくてもとてもよく知っている。だからたったの数行で、その時の気持ちに入り込める。自分が書いた「ログ」は、当時の自分の感情をありありと思い出させてくれる。
なぜわざわざ見えるところに書くのか?
ここまで書いてもまだ疑問が残る。それなら、自分だけが読むノートに書いておいた方がいいではないか。
「なぜ、インターネット上に書くのか」
その答えは、「検索性」だ。いろいろ書き散らかしているけれど、ブログが結局一番読み返しやすいし、あとで検索がしやすい。メモツールのEvernoteなどに書いても、あとからとても読みにくいのだ。もし、書いているツールやサービスの検索機能がいまいちでも、インターネット上にあればGoogleで検索できる。だから、どうしても誰にも見せられない内容以外は、私は外向けに書いてしまう。
だから「なぜわざわざ見えるところに書くのか?」と問われれば「読み返すため」「検索するため」となる。
<執筆:栃尾江美>
<見出し画像イラスト&デザイン:金子アユミ>