【読むPodcast】哲学と哲学対話について教えてください(ゲスト:おがぢさん)


以前から「私は、哲学するのが好きなのではないか」と思っていた栃尾ですが、その「哲学する」とは何なのでしょうか? 哲学や哲学対話と向き合ってきたおがぢさんにお伺いしてみました!

栃尾

クリエイティブの。

おがぢ

反対語。

栃尾

こんにちは、ストーリーエディターの栃尾江美です。

おがぢ

こんにちは、おがぢです。

栃尾

このポッドキャストは私、栃尾江美が好きな人やお話したい人をお呼びして、クリエイティブに関することや哲学的なことを好き勝手に話す番組です。先週に引き続き、おがぢさん、よろしくお願いします。

おがぢ

よろしくお願いします。

栃尾

はい、私、その今ね、Podcastのこの(説明を)読みながら「哲学的なことって入れてるな」と思ったんですけど、そもそも私の解釈として勝手に哲学的と言ってるだけで、おがぢさんにとって哲学とかね、哲学対話みたいなことって、どういうものなのかなというのをちょっと教えてもらいたいなと思ったんですけれども。

おがぢ

はい、何から話したらいいかな(笑)。

栃尾

そうですよね。

おがぢ

よくわかんないですけど、「栃尾さんと一緒にしてる『ねりま子どもてつがく』っていうのがあるな、そこが共通項かな」っていうのはちょっと思っていて。

栃尾

はい。

おがぢ

むしろ、逆に先に聞いちゃうようですけど、「なんで『ねりま子どもてつがく』っていう活動にグッと惹かれたのか」っていうのを先に、逆質問してもいいですか?

栃尾

(笑)そうですね、私、何だろうな。昔から「考えることが好きだなぁ」とは思ってたんですね。でも、なんでもいいわけじゃないし、なんかこう、「これって何なんだろう、名前はないのだろうか」とずっと思っていたんですね。色々考えるうちに、もしかして、「“哲学する”なんじゃないか」って思ったんですよね。それで、哲学対話っていうのを見て、で、哲学を勉強しようとしてもまったく興味が持てなかったんですよね。昔の哲学者の言葉とかを読もうとしても、まったく(興味を)持てなかったから、「これは何なんだろう」と思って。そしたら、子どもが付いてて簡単そうだし、しかも哲学って書いてあるから、なんか「子どもにもできる哲学ってこと? じゃあ、私もできるかも」って感じですごいグッときました。

おがぢ

あぁ、ありがとうございます。

栃尾

(笑)。

おがぢ

まずその「哲学する」っていうのは確かにすごい大事って言うか。

栃尾

はい。

おがぢ

私も前回お話しましたけれど、「自分が気になることを掘り下げて考える活動が哲学なのかな」という風に思って、「哲学科に行こう」と志したので、そこは多分イメージは栃尾さんとも重なっているかなという風に思います。

栃尾

はい。

おがぢ

ただ、学問としての哲学というか、哲学科でやることっていうのは、もう少しこう体系立っていて、過去に哲学者って言われるような、ソクラテスとか、アリストテレスとか、プラトンとか、カントとか、デカルトとか、ハイデガーとか、わからないですけど、そういう人たちが考えてきたことをまずは知るとか、学ぶっていうことがあり、彼らの言ってることがしっかり理解できるようになるっていうことが、1つやはり教育としては重要になってきます。

栃尾

うん、うん、はい。

おがぢ

ただ、それをなぜやるのかっていうと、世界にあるような問題や問いや、複雑な課題について、そもそも先人たちがすでに考えてきた蓄積があるので、それをしっかり理解して、そこから自分たちが哲学できるようになる、考えることができるようになるっていうための訓練だと思うので、「しっかり訓練しましょうよ」っていうところだとは思います。

栃尾

はい。

おがぢ

その先で、哲学科が育てたい学生っていうのは、やはりそこは哲学する人なのかなという風に思ったりします。

栃尾

はい、はい。

おがぢ

で、今、「哲学するって何なのか」っていうことを答えなきゃいけないんですけど。

栃尾

(笑)答えなくてもあれですけど、はい。

おがぢ

(笑)哲学するって言って何も説明してないですもんね。まあ、自分にとって不思議なこととか、社会にある、世の中にある疑問とか、自分にとってでいいですかね、自分とって不思議なこととか、驚きのあることについて、じっくり粘り強く考えていくっていう姿勢は、哲学するっていうことにとってやはり重要なんじゃないかなという風に思います。

栃尾

うん、うん。

おがぢ

それをとりあえず大きい、広い意味で哲学するって呼んでしまって、まずは構わないのかなって思います。

栃尾

あの、今、大学ではそういう先人たちのね、考えをまず勉強するっておっしゃってましたけど。

おがぢ

はい。

栃尾

やっぱりそれを勉強してから哲学する方が、より思考が飛び立つというか、逆に深くなるとか、そういったことは感じますか?

おがぢ

いや、別に……

栃尾

(笑)。

おがぢ

そんなに思わないというか。

栃尾

へぇ。

おがぢ

先人たちの思考を深く学ぶっていうのは、結構大変なので。

栃尾

はい。

おがぢ

かなり時間をかけてやった後なら、確かにそれはすごく役に立つというか、より遠くまで自分で考えることができるっていうものに当然役に立つとは思うんですけれど、じゃあ、巷にある哲学の思想の解説書を読んだから、より深く考えられるかっていうと、変に知識が付いちゃったりして、すごく考えが狭くなったりとかいうようになる気がするので。

栃尾

ふーん。

おがぢ

本当に、哲学者のことを理解して、そこから深く先に自分で考えるっていう活動のためには、相当な訓練が、自分も全然足りてると思わないですけど、相当な時間が必要なのかなとは思います。

栃尾

なるほど。私、大学が理系だったので。

おがぢ

はい。

栃尾

その数学とかっていうと、プログラミングとかもそうですけれども、昔の人が考えてくれた定義とかは、もうそれを使って研究しないことにはもう今の現代に追いつけないんですよね。

おがぢ

うん。

栃尾

例えば、その定理とかをもう一回証明しようというところから始めると、もうそれだけで一生が終わっちゃうので。

おがぢ

うん。

栃尾

だから、先人たちの知恵を得るっていうのは、例えば、数学をやるとか、理系っぽいことをやる人にはマストだと思うんですけど、それと何で違うんですかね?

おがぢ

難しいですけど、哲学の歴史を学ぶっていうときには、こう……、もちろん、過去からずっと以前のギリシアの哲学とかから順番にちょっとずつやってくる積み上げはある訳ですけど。

栃尾

はい。

おがぢ

じゃあ、その最新の哲学の理論が最も優れているかというと、そんなにシンプルに階段を上ってきているわけではないっていうことは、やはりあるかなという風に思います。

栃尾

うん、うん。

おがぢ

もちろん、過去のものを批判したり、応答したりしながらやってきてるわけですけども、じゃあ、1000年前の人の議論に対して、500年前っていうか、500年、より最近の人が応答したからといって、その応答が本当に正しいのかどうかを現代まだまだ検証し続けるっていうことがずっと続いているので。

栃尾

ふーん。

おがぢ

誰の立場が本当に正しいのかどうかっていうことは、ずっと遡ってどこまででも検証し続けるっていう作業がまだまだ続いているっていう風には言えると思います。なんかもう確定した、すでに証明を完全にされた公理みたいなものが、先に我々が立っているっていうほど、シンプルに積み上げとか、ピラミッドの上っていう風にはなっていないんじゃないかなとは思いますね。

栃尾

ふーん。

おがぢ

なので、色々なものをどこまでも遡って学ぶことができるし、ある意味では、どこかを取り出して学ぶこともできるし、自分が考えたいテーマについて考えているものについて、拾い上げながら学ぶこともできるし、やっぱりその過去に学ぶっていう仕方が理系的なっていうか、特にアウトプットを出していくような学問とは少し違うのかなっていう風には思います。

栃尾

なんかいつまで経ってもこれが絶対正しいみたいに言えないみたいなことなんですかね?

おがぢ

そうですね、そう言うと今度は「哲学には答えがない」っていう、哲学によくあるイメージと結びついちゃうんですけど、「いつまでも正しいものがない」と言い切ってしまうと、「哲学は何をやってるんだ」っていう話に、「答えのない遊びをしている」みたいになるので。

栃尾

なるほど、なるほど。

おがぢ

まあ、そうではないんですけど。

栃尾

なるほど、なるほど。

おがぢ

常に、応答や検証や批判的な読解っていうものが繰り返され続けていて、皆、これが正しいとそれぞれは言ってるんですけど、それは厳密に考えていけば、批判が可能だったり、応答が可能だったりするという営みがずっと続いているのであって、別に皆が皆、答えがないと思って端からやってるわけではない。

栃尾

精度が上がってるみたいなイメージですかね?

おがぢ

精度はやっぱり上がってるんじゃないですかね。

栃尾

はい、はい。

おがぢ

上がってるんだろうとは思います。

栃尾

だけど結局いつまでも100%には成りづらいっていうことですよね?

おがぢ

うーん。

栃尾

精度がかなり良くなっても。

おがぢ

そうですね、そういう風にも言えると思います。まあ、数学とか、プログラミングも、あんまり専門じゃないのであれですけど、ユークリッド幾何学っていう公理のベースに立てばこれが正しいみたいな。

栃尾

あぁ、はい、はい。

おがぢ

ある世界観を採ればこうなるとか。私たちのこの世界を三次元で捉えるから、この数式が正しいみたいな。例えば、大前提みたいな、世界の捉え方みたいなことが前提としてありますよね。

栃尾

そうですね。

おがぢ

哲学も前提としての世界観を、例えば、ものの見方みたいなものを複数提示してくることがあるので。

栃尾

なるほど。

おがぢ

この見方を採ればこの筋だけど、そもそも、全然違う見方があるっていうことを後から提唱していくと、一番ゼロから考えなきゃいけなくなっちゃうので。

栃尾

はい、はい。

おがぢ

世界の見方とか、前提みたいなものも捉えなおすことになるので、ある意味いくらでも世界観みたいなものは立つし、どの世界観とどの世界観が、どの見方とどの見方が、どちらが優れているのかということを言い出すと、容易には決着はつかないというか。

栃尾

そういうなんか前提の立て方みたいなのは、先人の知恵っていうのがすごく役に立ちそうですね。

おがぢ

そうですね、はい。先人の誰々の見方を採って考えるととか、先人の誰々の理論とか前提に立って現代を見るとっていうことは当然やっぱりすごく役に立つとは思いますね、そうですね。

栃尾

なるほどなぁ。まあ、哲学対話のこともお伺いしたいんですけれども。

おがぢ

はい。

栃尾

哲学対話の何だろう、面白さとか、魅力とか、おがぢさんが何故やってるのかみたいなところってどういうところにあるんですか?

おがぢ

はい、ありがとうございます。まあ、哲学対話っていうのは、今話したような先人の知識っていうことを一旦は使わずに、参加者同士の持っている知識とか、言葉とか、経験をもとにしてみんなで1つの問いについて話し合う活動を指します。最近、ここ20年ぐらいで国内でもすごく盛んになりつつあって、特にここ数年、すごく盛んになって本もたくさん出ています。

栃尾

はい。

おがぢ

やはり魅力は哲学の専門家じゃない人たちとも同じ地平で同じ言葉を使って一緒に考えることができるっていうのは、まあ、すごく入り口がまず広いですし、間口が哲学書を読むとかってことよりもはるかに広いのに、すごく楽しい活動になっていると思います。

栃尾

うん。

おがぢ

新しい発見が毎回その場その場であるので、すごく面白い活動になっていて、大学院になって本格的に私がやるようになりましたけれども、これにはすごく、うーん、自分も向いているし、とても魅力があるし、広い話で言えば、社会にとってとか、これを学校でやることにすごく意味があると思って取り組むようになりました。

栃尾

私もまあ、魅力をすごい感じているんですけれども、私はでも結構子どもとやることがやっぱり多かったので。

おがぢ

うん。

栃尾

大人とやるのと、子どもとやるのってどんな違いがあるとかお感じになったりとかありますか?

おがぢ

ルールはそんなに変わらないわけです。別に大人だから哲学用語を使うとか、そういうところはないので。

栃尾

はい。

おがぢ

それぞれの参加している人たちの持っている言葉や経験をベースにして考えるっていうところでは大して違わないわけですけれども、子どもって言っても年齢に差がありますけれど。

栃尾

確かに。

おがぢ

子どもは主に、本当に自分たちの見えている世界そのままについて関心を持ったり、問いを立てたりするので、より素朴なというか、まあ、「空は何で青いのか」とか、「おばけって本当にいるのか」とか、なんかそういう本当に子育てとかをしていて子どもが発するようなものを、大人はもう一々考えないようなものを考えるっていうところがあったりするかもしれないです。

栃尾

はい。

おがぢ

大人はもうちょっとこう普段生きていて、ぶつかった悩みとか、社会の問題とか。

栃尾

あぁ。

おがぢ

「民主主義は本当に正しいのか」とか。こう、そういうようなことについて考えたりするので、すこしテーマというか、テーマの探し方っていうものが変わるので、そうすると話題とか、考えていく方向もおのずと変わってくる部分はあるかなと思います。ただ、こちらの姿勢はそんなに変わらないですね。一緒にその場で出たものを考えるっていう、ファシリテーターっていう役割をすることが多いですけど、一緒に考えるっていう意味ではそんなに変わらないように、変えないようにはしています。

栃尾

ファシリテーターで、そのなんか気を付けていることとか、心がけていることってありますか?

おがぢ

私は哲学対話のファシリテーターの練習とか、勉強ばっかりしていて、一般的なワークショップのファシリテーターの勉強をあんまりしていないですけれど、おそらく哲学対話のファシリテーターは比較的自分の意見を言ったり、しゃべるんじゃないかなという気がします。

栃尾

へぇ。

おがぢ

人の意見をつないだり、まとめたりすることもありますけど、「僕はここが疑問に思う」とか、「僕はこれすごく言いたいから言います」みたいなこととかを、結構いち参加者として言うっていうことはあるし、私も大事にしているかなと思います。

栃尾

ふーん。

おがぢ

何でかというと、1つは哲学するとかって言っても参加者の人はどういう風に哲学したらいいかわからないので、まあ、一応自分が一番経験が多いことが多いので、哲学するとか、考える人としてのなるべくモデルになった方がいいなという風に思うので。

栃尾

サンプルを提示するみたいな感じですね?

おがぢ

そうですね、はい、サンプルに。

栃尾

はい。

おがぢ

別に自分の姿が完全に正解だとは思わないけど、やっぱり「哲学して見せる」っていうことを一生懸命、少なくとも藻掻いてみせるっていうところは見せなきゃいけないなっていうのが1つあります。

栃尾

はい。

おがぢ

あとは、質問もやっぱりお互いにし合うっていうことも大事だと思うので、自分も率直に疑問だと思ったこととか、わからないことを述べるっていうのも、これもモデルになる、サンプルになるっていうことですけども、あります。で、もう1個ぐらいは、やっぱり自分自身もその場を不思議に思ったり、楽しんでみせないといけない。みせないとっていうか、楽しむっていうこと自体がその場に与える影響力はすごく大きいと思うので。

栃尾

うん、うん。

おがぢ

なんか一歩引いて、斜に構えて、「君たちの理論は昔の哲学者のこれと同じだな」みたいなことを頭に思い浮かべて聞いてるだけだと。

栃尾

(笑)確かにね。

おがぢ

それってきっと伝わっちゃうので。

栃尾

うん。

おがぢ

自分自身が一番楽しめる。自分自身も楽しめるように振る舞うと。そういうときには、思ったこととか、この場にとってこういう風に話したらきっと面白いんじゃないかなと思うことは、ファシリテーターだから遠慮するとかじゃなくて、一緒に考える人として発していく、問うていくっていうことは、大事にしています。

栃尾

そう、私、そうですね。ちょっと時間が足りなくなっちゃって。私、おがぢさんのファシリテーション好きだったなと思って、もうちょっとお伺いしたかったんですけれど(笑)。

おがぢ

(笑)。

栃尾

お時間なので、そうですね、そろそろ終わりにしたいと思います。えっと、はい、じゃあ、以上、栃尾江美と、

おがぢ

おがぢでした。

<書き起こし、編集:折田大器

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