感度の高い会話


昨日は島根でお坊さんYouTuberをしている方をゲストにポッドキャストを収録した。何年か前に本当に偶然の出会いで知り合った方で、その後の活動もウォッチしていた。以前も話していてとても楽しかったのだけど、今回それは本当にバチっと「気が合う」なんだとわかった。質問を投げかけると、私が求めるちょうどよい粒度で回答を返してくれる。情報の密度が濃いのと専門用語もたまに入ったりするので、たくさんメモをしながら聴くことになった。最後に感想を聞いたら「こんなに感度の高いことを聞いてくれることはないから嬉しい」と言っていただいた。お坊さんYouTuberは珍しいので新聞で取材されることもあったりするが、表面的なことしか聞かれないという。また、YouTubeも心理学のこととかちょっと難しいことをテーマにするととたんに再生数が伸びなくなるという。YouTubeは簡単で、わかりやすくしないと見られない、と言っていた。確かに芸能人もそうだったりするので、私が好むメディアになることはないのかも。テレビは今はまったく見ていないけど、見ていた頃も民放はほぼ見ていなくてNHKばかりだった。YouTubeにはNHKはないからな……。テレビをやっているディレクターの人に聞いたら、テレビは視聴率が分刻みでわかるので、どんどん視聴者におもねるようになっていく。何をすれば視聴率が上がり、何をすれば下がるかがわかるから、斬新なことをやりづらいのだと。ただ、先日いずいずに聞いたときには、それほど編集されていない、「素材そのまま」みたいなYouTubeが楽しいと言っていた。そういう楽しみ方のほうがよさそうだ。

昨日はインタビュー原稿を書いたのだけど、週末に構成は作っておいたから早めにできるかなと思っていた。連載しているものなので、書き方みたいなものも大体わかっているし、自由度も高い。つまりとても書きやすいのだ。それにしても、それにしても、1時間半ほどで、2500字ちょっとを書いて、見直しもして、出せてしまった。仕事が早いのはいいんだよ、いいんだけど、あまりクライアントに話せないような気がするのはなぜでしょうか。まあでも、これまで15年培ってきた技術料だよね。よしとしましょう……。

午前中は小説も書いた。こちらも2500字くらい。もっとたくさん書けないかなあ。迷いがあるんだよね。ここでもう少しボリュームを増やしておかないといけないのでは? みたいな。あとから増やすのちょっと難しいしね。悩みどころ。昔はインタビュー原稿や他の原稿を書いてもそうだったから、ある程度技術と慣れで大丈夫になるんだと思う。早く慣れたい。ただ、そんなに苦ではない。事実とプロットをもとに自分で考えたセリフを入れていく。リアリティを作っていく。それはなかなか楽しい作業だ。全部自分で小説が書けるようになったら、誰かの体験を作り出すことができるということで、それは本当に楽しそうだ。

以前「亡き母のレシピ本」という掌編小説をnoteに書いて、月間のアワードみたいなのに選んでもらったことがある。そのnoteにめちゃくちゃ久しぶりに「スキ」が付いたので改めて読み返したんだけど、なかなかよくできている。ちゃんとリアリティがあるし伏線もあるし、最後のカタルシスもある。主人公の女の子の彼氏が、私の理想的な感じで(気負わずに自然体)、好みが反映されているな?と笑えた。書いた当時は、とても未熟だと思ったしこんなもの……と思っていたけれど、読み返すとそうでもない気がした。当時より、作品と自分に距離ができたのかもしれない。