メルマガ発行できない


月曜日はメルマガを書いて、さあ配信予約しよう、と思ったらエラーが出てしまい発行できない。いろいろ調べて「SSL化がまだだから?」と思ってSSL化したりしたけど違った汗。これを機に伸ばし延ばしにしていたSSL化ができたのよかったけど、メルマガどうしようかな。せっかく購読者が100人くらいになったのに涙。noteで100円くらいのマガジンにするのもいいかなと思っている。入る時だけ100円。あとはずっと無料のマガジン。人数減るだろうけど。Xserverにもメルマガの機能があるようなので、これまでよりずっと使い勝手は下がるだろうしテキストメールになりそうだけど、ちょっとそちらでも考えてみる。

火曜日は朝8時に取材と、午後に打ち合わせ。間に原稿の修正とかもろもろをして、午後には書籍のプロットづくり。まだ要素のピックアップが終わっていない。でも、文字起こしを読み返しながら「やっぱり面白いなあ」と思うなど。

コテンラジオを見て、握手をするだけで性癖がわかる人、というのが出ていてすごかった。こんなに人のことがわかったら何でもできるんじゃ?と思ってしまったけど、人のことがわかるからといって世の中のことが全部わかるわけではないんだよね、と思った。例えばストレングスファインダー(SF)という強み診断があって、それによって強みはわかるけど、それをどう生かすかは本人次第だし、何をすれば成功するか、みたいなことはSFの専門家だって予言はできない。私は着想が上位だけど、それがウリになることってほとんどない。あってよかったな、というくらいのものだ。達成欲も、日々のタスクをこなすのにはとてもいいけど、それによって職業が決まるようなことはない。活発性もあって行動力があるけれど、やっぱりそれで職業が決まるわけではない。「動くのが早いね」と取引先に思われてメリットがある程度だ。あと全体を通して「なんにでもなれる」みたいなのが私の長所らしいのだけど、それがわかったとて、将来は決められない。相手によっていろいろな役割ができるからといって、それがなんだというのだ。敢えて言えば、PodcastのMCみたいなものは向いているのかもしれないし、誰かの相談に乗るのは向いているかもしれない。ただそれは、自分が切り開いていくしかない。なんというか、私のことをいろいろわかる人がいたとして、それは何でもお見通しだと錯覚してしまいがちだが、そうではないということ。例えば、植物の木につぼみを見つけられない人からすると、見つけられる人が「つぼみがあるから、花が咲きますね」と言ってすげーってなるかもしれないけど、どのような方向に枝が伸びて、今後数年の実のなり方はどうか、みたいなことはわからない。答えはどこにもないし、それは自分で作っていくのだ。占いみたいなものは、そうやって付き合っていけばいいんだろうね、今さら。

今朝は午前中取材。そのほかにもろもろ連絡とかやりとりとか。

スピリチュアルな人とか、スピリチュアルが好きな人と話すことが最近何度かあった。本当に当たってる! と思うこともあるんだけど、少し話を進めるとそうでもないな、ということがある。もしかしたらその中に本当のことはあるんだと思うけど、そこから個人が解釈したとたんになんだかちぐはぐになっていくのだろう。「AだからB」という部分に、根拠があったり、ただの感覚があったりする。例えば、科学的な分野でも「AだからB」のAがあっているのにBが間違っている、ということが往々にしてある。本当にたくさんある。医者でも、科学者でも、教授でも、とてもよく間違える。で、科学の場合はそれを科学でちゃんと否定する人がいるのだけど、スピリチュアルの場合は最初から証明されていないAが根拠だから、その後のBを否定する意味がほぼない。AもBも否定すると、スピリチュアル全部批判、みたいになって話がかみ合わない。証明できないものはすべてウソだというつもりはないけれど、証明できないから本当のこととそうじゃないことの見分けがつかない。いま「ファスト&スロー」を声で読み進めているけれど、人は本当にしょっちゅう間違えるのだ。ハーバードの学生でも、暗算でできるようなごくごく簡単な問題を間違える。間違えてもいいけれど、それに気が付かなかったり、立証できないのは他者と共有する場合に危険だ。スピリチュアルとの付き合い方は悩ましいなと思っていたけれど、最近はそんな付き合い方がいいなと思っている。