文章を書くときに、「です・ます調」と「だ・である調」を意識して使い分けているだろうか? 「書き始めたら、そうなった」と深く考えていない人が多いかもしれないけれど、できればしっかりと目的をもって決めたいところ。でも、それぞれの特徴やメリデメを知らないと、そもそも先に決めることができない。今回は、私の考える常体と敬体の選び方を紹介する。
常体(だ・である調)、敬体(です・ます調)の文章
「だ・である調」の文章を「常体」、「です・ます調」の文章を「敬体」という。
ブログや記事を書くとき、まずはこの文末処理を決める。基本的には、ひとつの記事で一度決めたら最後まで統一するべきだろう。一方で、1記事でなくWebメディア全体で考えると、統一しない場合もある。「ニュースは常体、コラムは敬体」「書き手、連載によって変える」というケース。
つまり、記事によって分けてもいいけれど、ある程度の統一は必要になる。書く前に「この記事の文末処理は、常体と敬体のどちらにするか」を決めなくてはならない。
文末処理(常体/敬体)による印象の違い
文末処理によって何が変わるのか。まずは、読み手の受ける印象が大きく変わる。次のような感じ。
・敬体(です・ます調)
ていねいな印象。直接語りかけている印象。「お願いします」「こうしてください」といった内容を書きやすい。書き手と読み手がしっかりと分かれているため、距離があるような印象にもなる。
・常体(だ・である調)
書き方のバリエーションが多い。独り言のように書かれていれば、没入感を覚え、本人になりきりやすい。つっけんどんで偉そうな感じを受ける場合もある。
どちらがよいかは、書くテーマや、記事の目的による。
例えば、やさしく何かを教えるようなケースでは、敬体のほうがいいかもしれない。読み手と書き手の距離を取り払って物語に浸ってほしい、という場合は常体の方が適切だろう。
重複を避けやすいのはどっち?
読み手の印象だけでなく、書く側にとっても大きな違いがある。それは「使い勝手」。
使い勝手について説明する前に、文章の「重複(ダブリ)」について説明しておく必要がある。
文章の書き手にとって、無駄なダブリはできるだけ避けたいもの。単語だけでなく、「の」や「に」といった助詞、内容(言葉を変えて同じことを言っている)、接続詞などいろいろあり、そのひとつが「文末」だ。
意味のないダブリがあると、読み手が「なんか稚拙でいやだな」「なんだか読みづらいな」と感じる。それにより、内容以外の情報で気が散ることになり、よほどの理由がない限り読むのをやめてしまう。
上記のように「ダブリを避ける」という観点で考えると、敬体はとても不利になる。例を出すとわかりやすい。
常体で
・~が動く。
・~が走る。
・~が進む。
と書いた場合、そのままでも文末がダブらないので、何も気にすることはない。ところが敬体で書くとそれぞれ次のようになってしまう!
・~が動きます。
・~が走ります。
・~が進みます。
このままでは、ずっと「~ます」が続く文章になる。これは読み手に取ってけっこう「キモチワルイ」のだ。
「ます」のダブリを避けるために、「体言止め」「助詞止め」を駆使したり、「動きます」を「動くのです」に変えたりするが、これはなかなか骨が折れるし、ある程度媒体を選ぶ。敬体のダブリを回避するテクニックはいろいろあるが、それは別途書くつもり。
大きく分けて、「読み手の印象」と「書き手の使い勝手」が、常体と敬体の違いと考えている。そんな観点で文末処理を考えてみてもらいたい。