【読むPodcast】#202 教養って必要ですか?(ゲスト:井川啓央さん)


マメヒコの井川啓央さん、2度目のゲスト! 私が最近気になっている「教養」についてお伺いしています。すぐに必要ではないけれど、長い目で見て必要な気もするし、だからといって目くじら立てて身に着けるものでもない気がするし、興味がないと頭に入ってこないし……。と、教養との付き合い方はなんだか難しいのです。それを、井川さんはパシッと答えてくれました。

栃尾

クリエイティブの。

井川

反対語。

栃尾

こんにちは、ストーリーエディターの栃尾江美です。

井川

こんにちは、マメヒコの井川です。

栃尾

このポッドキャストは私、栃尾江美がお話したい人をお呼びして、クリエイティブなことや哲学的なことを好き勝手に話す番組です。井川さん。

井川

はい。

栃尾

ありがとうございます。また来ていただいて。

井川

いや、いや、反響があったって。

栃尾

そう、そう、すごいね、井川さんの会はね、面白いって人が多くて。

井川

ホントぉ。

栃尾

井川さん好きです。この収録してくれてるアユミちゃんもそうだけど。

井川

好き?

栃尾

そう、そう。

井川

ホントぉ、もっと好き感が出るといいね。

栃尾

(笑)、私もよく言われるんだよね。「井川さん好き感」が足りない(笑)。

井川

「好きですよ」みたいなことを言われたって、好き感出てないからあんまり嬉しくないじゃん。

栃尾

(笑)そうかな。

井川

なんか言わせてるみたいでね。

栃尾

そうかな(笑)。

井川

うん。

栃尾

私は個人的に、放送してどうかということじゃなくて、井川さんに聞いた愛の話がずっと私の心に残っていて、今でもそれを支えにして生きてますね。

井川

ホントぉ。

栃尾

言ったこと忘れちゃったと思うけど(笑)。

井川

忘れちゃって(笑)、何言ったかわかんないけど、まあでもイイコト言ったんでしょ、きっと。

栃尾

イイコト言った(笑)井川さんのことだからね(笑)。

井川

うん、たぶんオレのことだからイイコト言ったんだと思う。

栃尾

そう、そう。でね、今日は、私が常日頃から思ってるというか、「何なんだろうな」と思ってる、位置づけを迷ってるものについてちょっとお伺いしたいんです。

井川

はい。

栃尾

「教養」なんですけど。

井川

教養。

栃尾

よくなんかリベラルアーツとか言うんですかね。

井川

うん、うん、教養ね。

栃尾

まあ、それは日本語にして教養とイコールじゃないっていうことも書いてあったりしますけど。

井川

うん。

栃尾

そういう「すぐには役に立たないけど、学校で習ったりする」みたいなこと。私は、「自分が教養ないな」って思っていて、学校で習ったことも忘れちゃってるんですよ。

井川

うん。

栃尾

だけど、「(教養が)ある人は素敵だな」と思うけど、「そればっかり振りかざしてる人は素敵じゃないな」って思ったり、井川さんにとってどういうものなのかなって。

井川

逆に、栃尾さんが「教養があればいいな」と思うことってあるの?

栃尾

なんかね、「このときにあったらいいな」って感じじゃ多分ないんですけど、色んなことを、たとえば、歴史を知っていたら、今の流れを歴史を振り返って考えられるじゃないですか。

井川

うん。

栃尾

あとは、芸術をたくさん知ってたら、目の前にある色んな食器一つにしても、そういうモノと繋ぎ合わせて考えられる。

井川

うん。

栃尾

そういう深みが出る、映画とかもそうですけど、「そういう世界が私は見えてないんだろうな」と思って、「見えたらいいな」って感じですかね。

井川

あの……、僕は教養って必要だと思いますよ。

栃尾

必要? ないとヤバイ?

井川

ヤバイかどうかは、わかんないけど、あったほうがいいと思う。

栃尾

あったほうがいい?

井川

それはなぜかって言うと、ザックリ考えるっていうことと、チマチマ考えるっていうことが、人は必要だと思うわけよ。

栃尾

うん。

井川

ね?

栃尾

はい。

井川

で、チマチマ考えることっていうのは誰だってできるわけよ。

栃尾

へぇ、はい。

井川

そうじゃない? 生きているっていうことは、チマチマ考えるっていうことじゃない?

栃尾

視野が狭いっていうこと?

井川

視野が狭いっていうか、たとえば、今日のお昼ご飯を、まあじゃあ、『サイゼリヤ』にしましたと、「ピザにしよっかな、パスタにしよっかな、いや、やっぱりサラダかな」って考えることはチマチマだよね。

栃尾

なるほど、はい。

井川

で、そういうことで生きてるわけでしょ。仕事だったら、「納期厳しいけど、ギャラ高いから請けるかな」とか。

栃尾

(笑)。

井川

「ギャラ安いけど、まあ、一応請けとくだけ、請けとくか」っていうのはチマチマだよね。

栃尾

なるほどね。

井川

で、このチマチマしてるっていうのは母性的なことなわけよ。

栃尾

うん、うん。

井川

つまり、子どもを育てることもそうだし、日々の生活っていうのはチマチマしてないと生きてけないよね、やっぱり。

栃尾

はい。

井川

「母乳にしようかなぁ……」

栃尾

(笑)。

井川

「いや、粉ミルクにしよっか」とかって言うこともそうだし。

栃尾

(笑)なるほどね、はい。

井川

日々の積み重ねが大事だから、そういう意味でいうと教養なんていらないと言えばいらないわけよ。

栃尾

そういう生き方をするんだったらね。

井川

だって、教養があったって、江戸時代の後、明治時代になったことなんて、知らなくたって、粉ミルクか母乳かには関係ないでしょ?

栃尾

困らない。

井川

困らない。

栃尾

うん。

井川

なんだけど、ザックリ考えるっていうことがないと、人は頭の中がリフレッシュされないと思うわけよ。

栃尾

リフレッシュの問題?

井川

そう。

栃尾

へぇー、そうなんだ。

井川

リフレッシュの問題なわけよ。

栃尾

へぇ、そうなの?(笑)。

井川

教養とはコレすなわちリフレッシュのためにある。

栃尾

すごい、それ誰も言ってないんじゃないですか? 世界で。

井川

言ってないのよオレしか言ってないと思う。

栃尾

(笑)。

井川

なんでかっていうとさ、あのぉ、やっぱり小さなことの積み重ねでは、色んなことが複雑になり過ぎちゃうわけよね。

栃尾

あっ、ホントそう。

井川

そうでしょ? だって、小さいことばっかりに捉われちゃうわけだから、要は、リトル・ディファレンスがすごく気になっちゃう。

栃尾

それがなんか大きいことのように思っちゃう。

井川

思っちゃう。

栃尾

うん、うん。

井川

小さいことが大きく感じちゃう。

栃尾

わかる。

井川

だけど、大きく見ればさ、そのぐらいの差は大したことないよ。

栃尾

「半日ぐらいミルク飲まなくても、死なないよね」と。

井川

うん、うん。だから、極端に言えば、「黒人だろうが白人だろうが人は人じゃん」って思うことって、ザックリ考えてるよね?

栃尾

うん。

井川

同じ……たとえば、仏教でも、浄土真宗と日蓮宗は仏教は仏教じゃん、とか。

栃尾

うん。

井川

キリスト教と仏教だって、宗教は宗教じゃんって考えれば、色んなことがスムーズに考えられるじゃん。

栃尾

シンプルにってことですか?

井川

うん。これが小さいことの差異ばかり気にしてると、人生はデコボコだらけだよね。

栃尾

そうですね、パズルみたいに組み合わせができなくなっちゃうっていうか。

井川

そう、「そんなの合うわけない」とか、「こんな私みたいなへんちくりんなピースは合う人なんかいるわけない」みたいに思っちゃうじゃん。

栃尾

うん。

井川

だけど、単純化すれば、「細かいところは合わないかもしれないけど、まあ、合うでしょ」。合うと思うって希望が持てるじゃん。

栃尾

うん。

井川

だから、ザックリ考えるっていうことは、希望が持てるってことでもあるわけよね。

栃尾

うん。

井川

つまり、リフレッシュするっていうことは、「あぁ、チマチマしてて嫌だな。でも、広い目で見れば、うん、まあまあ行けるかも」って希望が持てるじゃん。

栃尾

それって、教養がないとそういう考え方できないんですか?

井川

できない。

栃尾

なんで?

井川

なぜかっていうと、モノゴトには、たとえば、AとBがあって、AとBに対して「何が違っているのか、何は似ているのか」っていうのを考える能力って必要なわけよ。たとえば、「徳川家康と織田信長は何が違うのか」っていうことを考える視点って色んな点であるわけよ。天下を統一しようとした人と、成し得た人の違いもあるし。

栃尾

へぇ。

井川

たとえば、そういうことをしかけた人と、それを成就した人っていうことがあるわけじゃない。

栃尾

はい。

井川

でも、これはさ、たとえば、自分がベンチャー企業を立ち上げたときに、ベンチャー企業を立ち上げるっていうことは、織田信長的な側面がないと厳しい。ツベコベ言わずにオレの言うことを聞けっていう。

栃尾

なるほど。

井川

かといって、それを大きい会社にするっていうことになると、徳川家康的な側面が必要だと。

栃尾

うん。

井川

でも、これを徳川家康も織田信長もまったく知らなければ、最初にイケイケでやってて会社が立ち上がって、うまくいったかもしれないけど、ある時点でうまくいかなくなったのも「何でだろう」っていう視点が浮かばないよね。

栃尾

うん、うん。

井川

やっぱりどこかでシフトチェンジしなくちゃいけないんだろうっていうことは、歴史から学ぶじゃん。

栃尾

はい、はあ、そうなんだ。

井川

そういう最初はイケイケで行っても、途中からはやっぱり穏やかにしていかなくちゃいけないっていうことは、薄々は感じるよね。

栃尾

なるほどねぇ。

井川

でも、そういうことがないと、「信頼してたアイツに裏切られて、この世は悪ばっかりだ」みたいな、小さいことだとそうなっちゃうよね。

栃尾

なるほどねぇ。

井川

「なんで私は運が悪いんだろう」みたいなことになっちゃう。

栃尾

うん。

井川

でも、その似ていること、自分の置かれている境遇が、徳川家康と織田信長の人生と重ねることもできるし、かといって、じゃあ、全部重ねてね、「俺は織田信長の生まれ変わりだ」みたいに思っても、そうじゃないから。時代が違うし。

栃尾

うん。

井川

そうすると、似ているけど、やっぱり違うという点はあるよね。これもまた教養だよね。

栃尾

ふぅーん、難しいなぁ。

井川

似てるけど、違う。

栃尾

うん。

井川

違うけど、似ているっていう点に着目するっていうことは、常に頭をリフレッシュできるじゃん。

栃尾

リフレッシュできるかぁ。

井川

そうでしょ、だって。じゃあ、たとえばさ、全然関係ない話をすると。

栃尾

はい。

井川

お茶ってあるじゃん?

栃尾

お茶ありますねぇ(笑)。

井川

中華料理食べるでしょ?

栃尾

うん。

井川

中華料理食べるときにお茶って飲むじゃん?

栃尾

はい。

井川

アレ、なんでお茶飲むかっていうと、常にリフレッシュさせたいからだよね、口を。

栃尾

あぁ、料理が変わる度に飲むっていう感じなんですか?

井川

うん、だから、たとえば、酢豚を食べて、口の中がどんどん酢豚になるじゃん。

栃尾

うん(笑)。

井川

酢豚になったときに、お茶飲むと、

栃尾

(笑)。

井川

酢豚を食べてなかったことにできるから、気持ち。

栃尾

うん、わかります、わかります。

井川

それで酢豚食べたらさ、「アレ、美味しいね」って思えるじゃん?

栃尾

(笑)うん。

井川

そういうことが人間には必要なわけよ。

栃尾

へぇ。

井川

そうでしょ?

栃尾

必要、それは必要、そこまでは、うん。

井川

っていうときに、「お前酢豚食べたいって言ったんだから、そんな途中で飽きたなんて言わないで、ずっと酢豚食べとけよ」。

栃尾

(笑)。

井川

っていう風になりがちなのよ。

栃尾

あ、日常を暮していると?

井川

日常だけを考えると。

栃尾

うん。

井川

「そんな贅沢言ってんなよ。お茶なんてそんな贅沢なもの、水で我慢しとけ」ってなるじゃない?

栃尾

うん。

井川

ところが、やっぱり人間が生きていく上で、幸せだと感じるのって、身近なものでありながら新鮮に感じられることじゃない?

栃尾

うん、そうですね。

井川

そうでしょ?

栃尾

それが一番いいっちゅうか。

井川

すごくあの人好きだなって思ったけど、途中で飽きてくると。

栃尾

一緒にいてね。

井川

一緒にいたら。「なんでこんな人と一緒にいるんだろう」と思う。

栃尾

うん。

井川

でも、なんかお茶的なことがあってね、その人と。

栃尾

うん。

井川

ハッと、「あ、すごくこの人好きだけど嫌だなって思ってたけど、やっぱり好きだわ」って思い直した日は幸せじゃない?

栃尾

うん、わかる。えっ、それが教養の意味ってこと?

井川

それが教養ってことよ。

栃尾

へぇ。たとえば、どういうのがお茶的な?

井川

つまり、もう少し難しく言うと。

栃尾

これより難しくなっちゃう(笑)。

井川

視点を変えることが大事だってことだよ。

栃尾

あぁ、はい。

井川

モノゴトは変わらないんだから、その二人の関係性も、自分と酢豚との関係性も変わんないじゃん。

栃尾

うん。

井川

だけど、視点を変えれば、同じものでも全然違って見えるわけでしょ。

栃尾

そうですね。

井川

この色んな視点、角度を持てるってことが教養だって言ってるわけ。

栃尾

その角度を、色んな視点を持たせてくれるのが教養?

井川

そう。

栃尾

なるほどねぇ。

井川

だから、「お金なんて要らないですよね」っていうのは教養ないじゃない。

栃尾

うん。

井川

お金も必要だよ。

栃尾

うん、うん。

井川

でも、お金だけ稼いでいればいいっていうのは教養じゃないじゃない。

栃尾

うん。

井川

だから、お金が要らないとか、お金が要るって考えるのは教養ないよね?

栃尾

うん。

井川

お金はそこそこ要る。

栃尾

うん。

井川

でも、「がめつくあってはイケない、っていう塩梅はどうやって決めるんですか」って言ったときに、教養がモノをいうわけじゃない。

栃尾

え、そしたら、教養は必ずしも知識じゃないんですか?

井川

そうだよ。

栃尾

ふぅーん。

井川

教養とは知識ではない。

栃尾

考え方みたいなのでもいいってこと?

井川

教養っていうものに、すこし栃尾が嫌悪感があるとしたら。

栃尾

コンプレックスがあるかも、嫌悪感というかね。

井川

うん、それがあるとしたら、それはそういうものを持っているのをひけらかして、自分の支配下に置きたいような、つまり、アクセサリー的に教養を持ってる、もしくは、「それを教養だと、それこそ”強要”する」

栃尾

(笑)。

井川

みたいな人だったら、「そんなの持ってても意味ないんじゃない」って思うけど。

栃尾

うん。

井川

僕はね、僕の定義では、そういう人は教養はないから。

栃尾

逆にね。

井川

逆に。

栃尾

知識はあるけど。

井川

知識はあるけれど。だから、あながち、まあ、学歴が高いとか、そこそこの地位に着いているって言ったって、教養があるかどうかという点ではわからないよ。

栃尾

そうなんだ。

井川

だって、トランプ大統領が教養あるとは思わないからね。

栃尾

うん、うん、なるほどね。

井川

だって、東大出てたって、試験に受かるための知識っていう点では手に入れているし、そういうことについては勤勉であるけれども。

栃尾

うん。

井川

教養っていう点では、あるかどうかってわからないじゃん。

栃尾

ふーん、じゃあ、「大学で教養を習います」っていうことがあったりするから、私は知識って思っちゃってるけど、そうじゃない。

井川

そうではない。

栃尾

大学で教えているのは、そのほんの一部、知識部分だけだってみたいなこと?

井川

そう。だから、知識として、学問としてね、たとえば、理科系だったら、「サイン、コサイン、タンジェントだけ知ってればいいじゃん」みたいになっていても。

栃尾

うん。

井川

その枕草子っていうのがいて、枕草子と、源氏物語を書いた紫式部っていうのがいて、この違いはいったい何なのかっていうことがわかって、「古典は古典だろ」みたいなことを思うかもしれないし、「いや、枕草子っていうのは、現代で言うところのインスタみたいなもんだね」って思うとか、そういう視点を持ち得ることが大事、まあ、大事っていうより、「なんかのときに目くじら立てずに済む」ってことよ。

栃尾

へぇ。もちろん、役に立つこともあるけれど、どっちかっていうとリフレッシュということ?

井川

そう。だから、教養課程だと、大学の教養課程で、単位の取りやすいものを取るっていうのは、もう全然教養からおよそかけ離れてるよ。

栃尾

はい。

井川

「何言ってんの?」っていう。

栃尾

うん。

井川

だから、教養っていうのは、自分の好きなこととはむしろ違うことをやったほうがいいわけよ。

栃尾

違う視点はね、もちろん。

井川

違う視点を持つっていう。

栃尾

確かに。

井川

「えっ、それ関係ないだろう」っていうことを知ることで、「あっ、自分のやりたいこととなんか似てるな」とか。

栃尾

なるほどねぇ。

井川

すごく専門的なことを学ぼうと思っていたけど、そこでは達し得なかったことだけど、この視点を持つことで自分のやろうとしてることがむしろ少し高みに登ったって思えること、それが教養じゃん。

栃尾

なるほどねぇ、視野が広がった。

井川

うん、ということ。

栃尾

ということで、今日はありがとうございました(笑)。以上、栃尾江美と。

井川

井川でした。

<書き起こし、編集:折田大器