
文章を書くのは「つらく苦しい」という側面もあります。それを「とっちーはどうしているの?」と聞くゲストのだいまり。言いたいことはあるのに言葉が出てこない、という苦しみは、絵本の読み聞かせで改善しうると思っている栃尾です。それと同時に、文章のリズムがとてもとてもよくなります。お子さまがいる方にはおすすめ。

クリエイティブの。

反対語。

こんにちは。ストーリーエディターの栃尾江美です。

こんにちは。ライターの代麻理子です。

このポッドキャストは、私、栃尾江美が、好きな人やお話したい人をゲストにお迎えして、クリエイティブに関することや哲学的なことを好き勝手に話す番組です。

はい。

はい、今日はどんなことを。

今日は、「職業としてのライターの楽しさって、とっちーにとってはどういうところなんだろう」というのを聞いてみたいと思って。

はいはい。

『note』とか自分のブログでね、書くことは楽しいっていうのは理解できるし、私もそういう思いはあるんだけど、仕事としてもらった案件に対して楽しいと感じる点って、私はインタビューをしに行くときにすごくそれを感じるんだけど、書くということだったら、書く部門だったら何が楽しい? それもまるっと含めて、インタビューもセットで楽しいと思うか。

インタビューはインタビューで楽しいし、書くのも楽しい。やっぱり、インタビューだけだと自分に入ってこない感じがするんだよね。

なるほどね。

インタビューだけで終わっちゃうと、「講演だけ聞いて何もしないで帰った」みたいな感じ?

そうかも、確かに。

それで、それを書くことによって、もう一回自分の中で繰り返すっていうか。

そうだね。

それが血肉になるかなという意味があることに加えて、書くときって没頭するじゃん。

そうだね。

その没頭するのが楽しいよね。

へぇ、それはしゃべってるときでは得られない感覚?

しゃべってるときもね、没頭するから楽しいよね。

あぁ、そうなんだ。

うん。

しゃべってるときに没頭するっていう感覚が私には全然ないかも。

ラジオトークってこと?

そう。書くときに没頭するっていう感覚はわかるんだけど。

人とのおしゃべりは?

楽しいけど、没頭してるっていう感じではないなぁ。

でも、めっちゃ集中してるでしょ? そうでもない?

そうかなぁ、そういう風に思ったことが、というか考えたことがないから。

へぇ。

でも、「書くときに集中する」っていうのは、すぐ即答してそう思うね。

うん。

「もうそれしか見えてない」っていうかさ、だから翌日読み返したりすると、「あぁ、ちょっと違うなここ」みたいなことって絶対に出てくるというか。けど、本当に目の前の記事というか、書いているもののことしか頭にないっていうのは、書いているときが一番強いっていうのは、すごくわかる気がする。

うん。

でも、それが「楽しくもあり、結構苦しくもあるな」とも思うけど、そうでもない? 苦しいことではない?

なるほどね、ライターになりたてのときは、なかなか言葉が出てこなくて苦しかった気がする。

言い回しとかさ。

そうそう。

最後の「~だと思います」とかが重なっちゃいけないから。

あぁ、語尾がね。

そう、そういうバリエーションとかが、「あぁ、出てこないな」とか、リズムというか、文章の音の感覚じゃないけど、読み返してみてというのが「イマイチだな」みたいなことが結構発生するから、そういうときは、調べながら書いたりもするけど、「あぁ、これはツラくもある行為だな」みたいに思うけど、慣れてくればというか、ずっとこなしていれば、それは色んなバリエーションが頭に入ってきてという感じ?

たぶん。何かを表現するために、「言葉とかが出てこなくてツラい」みたいなのは随分減る。

へぇ。でも、それがたぶんしゃべることにも活きているんだろうね。

あぁ、それはあるよ、きっとね。出てくるか、出てこないかっていうね。

うん、言葉の豊富さっていうか、バリエーションは。

うん、それはある。

前に、私が佐渡島さん、サディーに「とっちーみたくあんな上手く聞いたり、話したりできない」って言ったら、「それはとっちーは書いてるからできるんだよ」って言ってて。

へぇ、そうなんだ。

そうそう。だからやっぱり長年書いてきてるから、バリエーションをね、出る言葉のバリエーションが多いっていうのは、普通の会話、おしゃべりとは違うよね。

うん、なるほどね

おしゃべりだともう決まってる単語しか、自分の中でよく使う単語とかで成立するけど、文章だと違うもんね。

そうだね。ちょっと難しい、口語では言わないようなことも使うし、でも、「パターンになっちゃうな」ってときもあるけどね。「あ、これこの間も使ったな」みたいな(笑)。

この間っていうのは別の記事で?

別の記事だけど。

それはいいじゃん。(読者には)わかりようがないから。

マニアックに私の記事ばかり読んでる人にしかわからないけど。

そうでしょ。

わかんないけど、2回出てきたってことは、もう1回使うかもしれないから、本当は違うバリエーションのほうがいいんだろうなとは思うけどね。

ふーん。

でも、まあそれは確かに。それをね、苦しくなくなったタイミングがあるの。

何?

これ言ったかわかんないけど、この『クリエイティブの反対語』で言ったかわかんないけどね、絵本の読み聞かせをするようになってからなの。

へぇ。

すごくない?

うん、でも、どうしてだろう?

たぶん、やっぱり発音するからっていうのはあると思うよ。

うん、声に出してね。

そう、声に出してちゃんと読むから、黙読してるのとは違うんだろうね、体の通り方がさ。

ふーん。

そして、子どもの絵本なのに、子どもがわかるくらいの平易な文章なのに、自分としてアウトプットしていない言葉があまりにも多いっていうことなんだよね、たぶん。

あぁ、なるほどね。

聞いたらわかるけど、出てこないってのはさ、英語ではよく言われるけど、日本語もたぶんめちゃくちゃあるの。

あぁ、そうかもしれないね。

そう、同じボキャブラリーしか使わない人っているじゃない?

うん。

だけど、こっちが言っていることは通じるじゃん、ちゃんと。

うん。

だけど、自分が発する言葉がもうすごく少ししかないんだよね。

うん。

だけど、私は絵本の読み聞かせをし始めて、すごく書くのが楽になったの。

へぇ。

そう、びっくりした。

そうなんだぁ。

びっくりしたよ(笑)

えー、難しい言葉って本当にないのにね。

ないけど。

5歳とか6歳ぐらいの子がわかるような。

そう、ちゃんと読むとたぶん、例えば、「目を瞑(つむ)る」とか「目を閉じる」とか、色々あるじゃん。

違うもんね、言い回しが。

「まぶたを閉じる」とかさ。そういうのってどれか1個しかたぶん使わないんだよね。

そうだね、自分が。

だけど、絵本だと色々書いてあるじゃん。「瞑(つむ)る」なんてあんまり使わない人もいるじゃん。で、物が「垂(た)れる」とか、「零(こぼ)れる」とか、そういうのも色々あるけど、それを使い分けてはいなくて、たぶん絵本でそういうのが自分のものになるんだと思う。

へぇ。

音読で。

私、前にとっちーと話したときに、「子どもに本読むの全然好きじゃないんだよね」って言ってね。私、家ではひたすら自分の本を読んでるわけ。

自分で読書してね。

そう。それで子たちがテレビ見てる間も、横でずーっと自分の好きな本を読んでいるんだけど。

うん。

だから、自分の本を読みたいっていう思いで、子どもに「本読んで」って言われても、「えぇー」って思っちゃうんだけど、それをとっちーが「すごい書けるようになるよ」って言ってたのね。

言ってたか(笑)。

そう思ったら、あんまり嫌じゃなくなったというか。

やるようになった?

そう、絵本を読むのが前よりも苦痛じゃなくなったんだよね。そういう風に意識しないと、絵本を読む機会って今までと同じようにあるのに、意識しなかったらそんな風に思わなかったわけ。そんな自分の実になっているとは思わなかったというかさ。

うん。

だけど、意識したら確かに音の感じというか、文章の音の感じがすごく学べるよね。

そう、絵本はたぶん普通の本に比べて推敲の回数も、校正の回数も半端ないと思うんだよね、文章が短いだけに。詩みたいなもんだよね、たぶん。

言葉が少ないだけに。

だけに、すごく洗練されてるじゃん。で、読みにくいひっかかりのある文章なんて滅多にないの。

ない、ない。

本当にないのよ。だから、リズムはめちゃくちゃ磨かれると思う。

あぁ、そうかもねぇ。それを意識するようになってから、「読もう」、「読んであげよう」と思うようになって、すごいそれは聞けてよかったことの1つなんだよね。ずっと残ってる。

(笑)。でも、書きやすくはまだなってない?

うーん、まだ自分のバリエーションは足りてないけど、音にしたときに、目で読んでるだけじゃなくて、書いている途中に「リズムが悪いな」というときって、呟きながら書くわけ。何回か読みながら、口でしゃべって、読み直して、そういうことをするようになったのって、「音に対する意識、絵本のことを聞いたからかもな」と思うっていうか。

うん。

あまり音で読みやすいどうこうって思ったことがなかったというか、ただ、自分が本を読んでいるだけだったら、自分が好きな本は、もう上手く書かれているものだからさ、すでに。

そうだね。

そう、だから気付かなかったよね。でも、自分が書くものに対して結構その音の感じが大事だっていうことに気付けたのは、「とっちーが言っていたその絵本のことだな」と思った。

うん。それたぶん、書くときにリズムの悪い文章を書いちゃうのはあるんだけど、読み直したときに気付けるかどうかってのがやっぱり大事で。

なるほどね、そうかぁ。

そう、それはあると思うけど。そのボキャブラリーが出てくるかっていうのは、読み直して「変だな」と言っても、出てくるかはまた別だから。

別だよね。

そうね。

だから調べながらだよ、何て言うの。

類語とか?

類語。そう、ネットでね。

そっか、そっか。

「記者ブックみたいなやつ買わなきゃいけないかな?」って思ってる(笑)。

(笑)。あぁ。

それ使うことある?

類語辞典はある。

類語辞典はある?

あるけど、大概出てこないよね。「それじゃないんだけど」みたいな。

「記者ブックは書く者の鉄板の1冊だ」みたいに書いてあったから。まだ買ってないんだけど。

それは持っているかな。持ってるけど、まず見ないよ。

あぁ、そうなんだ。

編集やってさ、言葉を統一しないといけないときとかは見る。

なるほどね。

この文字は「ひらく」か「ひらかない」かとか。そういうのは見るけど、どっちの漢字を使うのかとか。でも、ライティングのときは見ないね。

ふーん、そうなんだ。そういうものなんだ。

私はね。でも、類語辞典は見るけど、もしかしたら慣用句とかのほうがいいのかな。慣用句辞典とかさ。

なるほどね、言い回しってことか。

でも読んだ人がパッと読んでわかんないと意味ないから。

そうだよね。

難しい慣用句覚えても意味なくって。

そう思うわ。

結局、目にしてるんだけど自分が使えないっていうやつを自分が覚えないといけないから。でも、小説もいいと思うよ。私も小説を読んだ後、すごい言葉が出てくるもん。

あぁ、そういう感覚あるかもね、確かに。

うん。

実用的なものを読んだときとは、違う感覚があるよね。

そう、表現力上がってるみたいな(笑)。

そう、わかる。でも、実際にそれをそのときに書けるかどうかって、読み終わったあとにすごく頭に浮かんでも書くまでにはあまり至らないというか、書くのは時間がかかる行為だと思っているから。でも、とっちーって、すごい個人的にもものすごい発信、アウトプットをするじゃない?

ツイッターとかね。

それもだし、『note』のさ、「140字」(註:平日毎日140文字ぴったりでSNSに文章を投稿するという栃尾の活動)も欠かさず出したり、それはずっとすごいなと思っているというか、書くことに躊躇(ためら)わないっていうか、時間がかかるのはかかる?

「140文字」は出てこないときはかかるし、たまにサボってるときもあるよ。

そうなんだ。

うん。

でも、ほぼやってるよね?

まあ、月曜日はサボりがちだけど、日曜日の余波がこう出てきていて(笑)。

それはわかる気がする(笑)。でも……。

でも、書いてる。

書いてるよね。それは無理やり「出てこないけど絞り出さなきゃ」みたいな感覚よりは、結構自然と?

でもね、わりと探す。

観察ってこと? 日常の中で?

そうそう。

気付き?

そうね、気付き。「自分の感情がどうだったかな」とか、「これによって何が学べたかな」っていうのは探すね。

ふーん。

「これかな?」って思ったら、そこをまたギューっとレンズを拡大して見ていくような感じ。

メモを取ったりまではしない? 日常で。

メモは取んない。

取んない? そっか。

そのとき思い付いたやつを書こうって思ってるから、何となくね。

なるほどね。そう、ツイッターの運用というか、書いていてというのもあるけど、本当にただの思い付きというか感じたこと、そのときのこととかを書いちゃうと、本当につぶやきになるじゃん。けど、そうじゃなく、統一性のあるものにしていこうって思うと、それでも全然つぶやくことはあるんだけど、ただ感じたことを。そう思うと、結構日常的に本当に気を付けて、気付くようにしていないと難しいよね。

まぁねぇ。そうなんかな。でも、私、その「140文字」以外は結構思い付きで書いちゃうけどね。

そうなんだ。

うん。子どもがこういうこと言ってて「あぁ、面白そう」とか。

でも、統一性あるじゃん。それは子どものことに関してっていう感じでしょ。「これが美味しかった」とかそういうことじゃないじゃん。

美味しかったことも感動したら書くかもしれないけど。

でも、そういうのはあんまり見ないなと思って。だから、もう絞られてると思って、テーマが。

あぁ、前は絞れないのが悩みだったんだけどね。

えぇ、それは自分で思ってただけじゃなくて?

周りにも言われてた。

言われてた?

「色々あるよね」って。

そうなんだ。そっか、今はすごくうまいなと思うっていうか。

あぁ、そうなんだ。そうなってきたのかなぁ。子どものことは多いけどね。でも、仕事のこともあるし、あと「子ども哲学」も子どもみたいなもんだけど。ポッドキャストもさ、今はポッドキャストの人みたいになってるから統一感あるかもしれないけど、昔は全然「何言ってるの?」って感じだよね、たぶん。

えー、でも、それは別に言われたことはないでしょ?

でも、バラバラだとは言われるよ。言われたことあるよ。

あぁ、番組によって?

いや、ツイッターのキャラが統一されていないみたいな。

うーん、そっか。

うん、言われるよ。

それ難しいよね、統一。今は、すごい揃っているように思うよ。

そうなのかな、うん。何の話だっけ?(笑)

楽しさ。ライターの楽しさ。

書くのは楽しいよね。だから、言葉が出てくるようになったら、もうあとは没頭して。

苦しさはないか、そっか。

歌ってるような、踊ってるような。

そういう感覚なんだ。

時間はかかるけどね。

そう、時間はかかるよね。1つ、1本に対して2,000~3,000字だったら、校正とか抜きで書くだけだとどれぐらいかかる? いつも大体?

時間?

うん。

えっ、どれぐらいの?

2,000~3,000字。

2,000~3,000字だったらまあ、2~3時間はかかるんじゃない。ダラダラやるともっとかかるよ。でも、まあ、それぐらいで見積もるね。2~3時間で書こうって見積もって、それで計画を立てる感じ。

なるほど。

ということで、話は尽きませんが。

はい。

告知はどうしようか、何だっけ? そう、この間、ゲーム会社の人に採用に使えるようなインタビューを書いたんだけど。

読んだ、すごい良かった。

私もさ、取材してすごい感動したの。「こんなに好きなことを仕事にしている人いるんだ」みたいな。

ね、素敵だよね。

それってさ、インタビューして結構突っ込まないと出てこないから、そういうのを採用のコンテンツとしてね、書く仕事を結構やっていて、それも例えば『note』に貼るんだったら、その見出し画像もちょっと凝ったほうがいいよね。フォント入れたりとか。そういうのを一緒に受ける仕事をこの間やってすごく楽しかったので、そういうニーズがあれば、お声掛けいただきたいなと思っております。

ぜひ。

はい、ということで、以上、栃尾江美と。

代麻理子でした。
<書き起こし、編集:折田大器>