学び舎「子どものみかた」を準備中の深松浩子さん。子どもをとてもリスペクトし、尊重している彼女は、「自由にさせる」と「甘やかす」の違いをどう考えているのでしょうか? 「子どもを育ててるんじゃなくて、人間を育てている」という言葉が印象的です。
クリエイティブの。
反対語。
こんにちは、ストーリーエディターの栃尾江美です。
こんにちは、「子どものみかた」の深松浩子です。
このポッドキャストは私、栃尾江美が好きな人やお話したい人をお呼びして、クリエイティブに関することや哲学的なことを好き勝手に話す番組です。はい。
はい。
えーと、浩子ゲストの4回目。
はい、よろしくお願いします。
お願いします。いろいろね、子どものことって答えも出ないしね。
うん。
なんか1人、2人でうまく行ったから、それが皆に当てはまるわけでもないしね。
ホントにね、そう(笑)。
なかなか難しいけど、今ね、目下私がちょっとね、上手く言語化できないなっていうのがありまして。
はい。
「自由にさせる」とか、「自分で判断させる」ってことと「甘やかす」の違い?
うん。
で、なんか「学校に行ってない」って言うとさ、「行かせろよ」って、今はいないかもしれないけど、昔だったら思ったと思うんだよね。
うん。
「何サボってんの」。
昔はね、いっぱいいたかもね。
そうそう。「何サボらせてんの」みたいな。「甘やかしてんの」みたいな(笑)。
(笑)。
私もなんかそういう風に言われたこともあったからね。
うん。
「全部そうやって甘やかすのが彼のためなんですか?」みたいな。
あぁ。
ことをちょっと言われて、「甘やかすかぁ……」と思って、そのときはびっくりしたんだけど。
うん、うん。
でも、わりと子どもの要求を呑んでたりすると、甘やかすってなっちゃうよなと思って。外から見たらね。
うん。
だから、浩子はどういう風にこう……、違いをどんな風に考えてるのかなと思ったんだけど。
甘やかすも、自由にさせるも、基本的には、相手が、まあその子が、自分となんら変わらない一人の人間だと思って接していれば。
うん。
まあ、甘やかすことにはならないし、自由も邪魔しなくて済むのかなと思っている……
ふーん。
んだけど。
まあ、確かに子どもだからそういう言葉が出てくるよね。
そう、そう。
あと部下とかもあるのかもしれないけど。
うん、そう、そう。
友達同士で甘やかすなんて言わないもんね。
そう、そう。なんか上下関係みたいな?
うん、うん。
で、それは往々にして「大人が上で」みたいなことになっているけど、世の中は「無常」だから(笑)。
むじょう? 常(つね)では無いってこと?
常では無いの「無常」ね(笑)。
うん、うん。
いつも変わるし、どの瞬間に、何が良いのかなんてわからない中で。
うん。
その子が言った……、まあ、区別するために「その子」って言うけれども、その子が言ったことが甘えなのかとか、ワガママなのかとか、それとも正当な自由の主張なのかはわからないっていうか。
うん、なるほど。
だから、九州のほうで、元々公立の小学校の先生をやられていた方が、すごい有名な「褒め言葉のシャワー」っていうやり方、技法って言うのかな、教育法を編み出した方なんだけど、その方がおっしゃってたのが。
うん。
「私は子どもを育ててるんではない」と。「人間を育ててる」って言っていて。
なるほど。
その感覚で言うと、私はあんまり、そもそも甘やかすとか、自由を大切にするとか、そういう邪魔をしないとかって問題は出ないと思ってる。
うん、うん。
あんまり……、その子が選んだものを、まあ要求を呑むって言ってたよね、さっきとっちーが。
うん、うん。
呑んで、その子が「それをやります、何かをやりたいです」って言ったときに、その要求を呑んで、まあ、何か問題があるから、「えー、でも、それはちょっと」ってなるわけだけど。
うん。
まあでも、呑むんだよね。で、呑んで、それを実際にやったとするよね。
うん。
やりたいって言ってたことをやったとしたときに、何かを選んだり、要求を言ったりしたときって、それにはどんな行動にも絶対に結果とか、その後っていうのが付いてくるから、「その後までを(含めて)、選んだ結果だよ」っていう。
うん。
その後のこと、結果までその子が経験できるのであれば、それは甘やかしじゃないんじゃないかなと私は思っていて。
うん、うん、なるほどね。
そこで、結果が、親とかからしたらね、案の定「言わんこっちゃない」みたいな感じで(笑)。
うん、うん。
よくない結果が出たとするよね、転んだとか、こぼしたとか、あと人に迷惑かけたとかっていうときに、そこで親ばっかり謝ったり、拭くのは親が拭いたりっていう後始末やその後に出た結果については親が全部やるってことになってくると、その子はやったっていうことまでしか享受できなくて、結果は享受することができないから、その子は……なんだろう自由にやったはいいけど、その結果の責任は取れない。
うん、うん。
そして取れなくしちゃうと、それは甘やかしなのかなと思うけど。
なるほどね。
うん。
それさ、まあ私たち、親はさ、赤ちゃんのときから子どもを看てるわけだよね。
うん。
でさ、例えば、まあ、お菓子ばっかり食べたいみたいに、朝昼晩ずっとお菓子食べたいみたいなのを、「納得するなら食べていいよ」みたいなのは言えない時期もあったわけだよね。
うん(笑)。
(笑)だから、そのなんか、私たちが決めなきゃっていうか。
うん。
先の先までさ、だってお菓子食べて体調悪くなるのって相当先でしょ。
うん。
だからそういうことまで、親がやってあげなきゃいけないみたいな考えになっちゃうんだと思うんだよね。
うん、まあ……。
そう、そう。だから子どもが自分で判断できるようになっても、とかまあ判断が未熟であるということに、かこつけてじゃないけど(笑)、そこを信頼できずに色々こう道筋を作っちゃうっていうか、型にはめちゃうみたいなところがあると思うんだよね。
うん。
でも、その子どもの年齢にもよるよね。
まあね、そりゃ赤ちゃんとか、本当に、1歳なら1歳、2歳なら2歳で、成長具合が違うから、そもそも整えておく環境、こっちが、養育する側が整えておく環境っていうのはそもそもがあると思う。
うん。その子どもの要求を呑むっていうところはさ、だから今、やったから転んだみたいにすぐ結果が出ることならいいけど、お菓子ばっか食べてたから体調が悪くなったみたいな、何か月も経ってからみたいな、もっと早く出るかもしれないけど(笑)。
うん(笑)。
そういうのは難しいよね、託すのは。
うん、そうね。長期のものになると、あと、体に関すること、健康に関することについては、私はその限りではないなって思ってるところがある。
なるほどね、食べ物とかはそうだもんね。
うん。
そっか、そっか。
体、ホント体。まず命っていうか、体がないと自由も何もないから。
うん、うん。なるほどね。うーん……
それ以外、自由になるためには健康な体が必須だから。
うん。なんかどこまで子どもが判断できるかを信じるっていうことでもあるじゃない?
そうだねぇ。
それがたぶん子どもの成長と親の認識が追い付かないっていうか、ズレちゃうんだよね。
うん、うん。
子どもはいつの間にか成長しているし、なんかできるようになったと思ったら、まだまだだったみたいなこともあるし。
うん、戻っちゃう。
そこを、でも、なんか私はなんとなくこう、「より信じる」。それぐらいのほうが丁度いいのかなと思ってるんだけどね。
あぁ、私もそう思う。ちょっと心配だなっていうときでも、なんだろう、ちょっと心配なのを我慢するぐらいが本当にいいのかなって思ってて。
うん、そうだよね。
「いや、そこは心配。ここは言いたい」みたいなのを、言わなくてもすごい健康に甚大な害があるわけじゃない(笑)。
うん、うん。
みたいなことであるならば、まあ、黙ってる。
そうね。そのときに一番苦しいのが、結局自分の固定観念みたいなものだなと思っていて、「早く寝なければいけない」とかね。
うん。
あとは、「ご飯は何時までに食べなければいけない」とかね。
うん、うん。
「ご飯食べてるときにはテレビ観ないで」とかね。
うん、うん。
なんかそういう自分のルールを、無茶苦茶にされるっていうのが(笑)。
あぁ。
相当苦しいなっていう。その1回目、2回目を乗り越えるまでは相当苦しいなと思っていて、これに世の中の親御さんは耐えているのかと思ってすごい驚愕しちゃう。
(笑)でも、親御さんの例えば、ご飯のときにテレビとか付けたくないっていう食事の習慣の親御さんっていると思うんだよね、食事のときに。
うん。
でも、そのときに、子どもが観たいからってテレビが付いてるとすごい不愉快だなって思ったとしたら、自分の食事時間としてすごい不愉快だなと思ったとしたら、それは「あなたはそう思うのかもしれないけど、私はこう思うんだよね。そして、私は不愉快なんだよね」っていうのを正直に子どもに言って、で、「私はこう思うんだけど、あなたは私のこの意見をどう思いますか」みたいな話し合いを本当にしていく。
うん。私もね、それは言ってんの。ご飯中はテレビとか動画を観られるとすごく嫌なのね。
うん。
で、それは何で嫌なのかっていうと、やっぱり寂しいからなわけよ。
うん。
一緒にご飯食べてるのに、話しかけても気もそぞろ。で、普段別にしゃべる機会ってそんなにないのに、貴重な時間をね、なんでそんないつでも観れる動画観てるんだみたいな感じで、寂しくてつまらないみたいなことを、言ってるね。認めるのがキツいよね。
(笑)。
親として寂しいっていうのを発するのは最初はキツいんだけど、まあ、言い慣れちゃうと結構言えるもんだなっていうか(笑)。
そこもね、正直になるっていうのは、自分も対等になるっていうのは、自分も大人の仮面を取らないといけないから。
そうなのよ。
親の仮面みたいなのを、盾みたいなのを取らないといけないから。
そうだね、うん。
「親として言ってんのよ」っていうのを取らないといけないから、なんか生身の人間同士の話し合いになってくる(笑)。
そう、そう、そうなのよ。だから、最初がつらくて……、そう。でも、そうなるとちょっとわかってくれるんだよね。
うん。
だから、その仮面を被ったままだと、理論的に、「あなたの何々上悪いから」みたいな説明になっちゃって(笑)。なんかそうすると納得しないよね、子どももね。
あぁ。
それよりも「ママが寂しい」って言われたほうが、「まあ、まあ、わかったよ」みたいな感じではある。
そう、でも、そういうのを重ねるので、前回話した感情。
確かに。
人の感情とか、自分の感情を顧みてみるとかっていう習慣の糸口になるから、そういうのを日々積み重ねるのは、感情を出してくっていうのは、人にしては疲れるときもあるとは思うんだけど、いいかなと思う。
そうだね。だから、まあ、「親のルールを何がなんでも守りなさい」みたいな感じじゃなくて。
(笑)。
ちょっとこういう理由で、悲しいから嫌だとか、寂しいから嫌だとか、そういう理屈じゃないことを言っても全然いいなっていうのが、私の最近の学びだよね。
うん。それで話し合っていられたら、甘やかす……
とかじゃねぇよ、みたいな。
ことにはならないと思う。
(笑)そうなんだ。
(笑)。
確かに、うん、うん。まあ、そうやって言ってくる人には、別にわざわざ説明してもしょうがないしね。
うん。「甘やかすって思ってらっしゃるんですね」っていう。
(笑)大人の対応をね。
(笑)。そう、相手の意見を「聞きました」って受け入れる。でも、意見を求められたら返すっていう。
うん、感じにそこはちょっと仮面を被ってね(笑)。
そう、押し付けられないから。
そうだね、そうしたいと思う。じゃあ、そんなところで、お時間になりましたので、今日も終わりにしたいと思います。
はい。
以上、栃尾江美と。
深松浩子でした。
<書き起こし、編集:折田大器>