今回から、ゲストはおがぢさんです。栃尾が活動している「ねりま子どもてつがく」でお世話になった方で、現在は高専で倫理と哲学対話を教えています。大学のころから哲学を専攻していたとのことで、栃尾は興味津々……! これから5週に分けて、哲学対話のことや、高専のこと、ご自身が直面している子育てのことなどをお伺いしていきます!
クリエイティブの。
反対語。
こんにちは、ストーリーエディターの栃尾江美です。このポッドキャストは私、栃尾江美が好きな人やお話したい人をお呼びして、クリエイティブに関することや哲学的なことを好き勝手に話す番組です。今日はですね、新しいゲストの方に来ていただきました。おがぢさんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
私、いつ頃ですかね、おがぢさんと知り合ったの、数年前ですよね、きっと。
そうですね、数年前にも幅がありますけど。
(笑)3年ぐらい?
えーっと。
2、3年。
練馬に私が住んでいたときだから。
はい。
4年前ですかね。
あ、そんな前ですか。そうか、そうか。えっと、実はね、「ねりま子どもてつがく」で。
はい。
一緒に子ども哲学対話っていうんですか、子ども哲学っていうんですか、一緒にやっていただいていて。えっと、おがぢさん、どういう方なのか簡単に教えてもらってもいいですか?
はい、本名は小川泰治(たいじ)と言います。
はい。
現在は山口県の高等専門学校、高専っていう種類の学校で、教員をして、常勤の教員をしています。それまでは、まあ、今ちょっと話題にも出ましたけども、哲学っていうものを大学や大学院で専門にして勉強していて、そこから派生して、哲学対話っていうような、街場で子どもの方とか、あるいは一般の方と、対話的なワークショップを企画したり、ファシリテーションしたりするっていうような仕事を熱心に取り組んできたというような背景があって。
はい。
その中で、練馬でもご一緒したっていうようなことかなと思います。
そうですよね、哲学は、元々大学で勉強されてたわけですよね?
そうですね、大学が、上智大学っていう大学の哲学科に志望……、高校の頃から哲学科に行こうと思っていて。
へぇ。
っていう感じですね。
へぇ、なんで哲学科に行こうと思ったんですか?
それもよく聞かれて、答え方は悩むというか。
何種類かあるんですか(笑)。
そうですね。
はい、はい。
えっと、まあ、中学生ぐらいの頃に、うちの母親と喋っているときに、「あなたは大学とかで将来何を学びたいのか」みたいなことを結構、問われたり、話したりして、「もう勉強したいことは決めておけ」みたいな感じの雰囲気はあったような記憶があって。
へぇ。
エピソード的な記憶では、「江戸時代があったということ自体がどのようにして証明されるのかわからない」みたいな、「だから歴史が気になる」みたいなことを多分言って。
すごいな(笑)。
「その江戸時代のことが気になるんじゃなくて、江戸時代の存在をなぜ確証できるのかが気になる」みたいな話をして。
あぁ。
「それは歴史じゃなくて、たぶん歴史では勉強できない」みたいな、「それは哲学なんじゃないか」って言われて、「あ、哲学というものがあるのか」と思い、「もう哲学科でいいかな」って中3ぐらいでたぶん思っていて、なので高校も普通科高校でしたけど、高校1年生の時点で、大学の哲学科のある大学とかをちょっと調べたりしていて。ガチガチの哲学書をその頃から読んでいた哲学徒ではなかったんですけど、「なんか哲学だな」っていうのは決まってましたね、自分の中で。
お母さんにそのように言われたときに、まあ、自分なりに哲学とはみたいなことを調べたりなんかして、まさにそうだなと、フィットしたっていう感じなんですかね?
そうですね。えっと、今はもう亡くなりましたけど、池田晶子さんっていう哲学の一般書をよく書かれる方の『14歳からの哲学』っていう本をその時に、おそらく中学生の頃に読んで、「あぁ、まあ、なんかこういうことなら面白いだろうな」っていう風に思ったんだと思います。なので、池田晶子さんの『14歳からの哲学』っていうもので入門したとも言えるかもしれないですね。
うん、うん、なるほど、なるほど。お母様もなんか結構あれですね、すごい方っていうか、そんなことないですか?
母は、えっと、私もですけど、キリスト教のプロテスタントをずっと信仰していて。
おぉ、はい。
私も教会に行っていて、今、私はクリスチャンではないですけど、結局。
うん、うん。
で、母は私が中学生ぐらいの頃に、「一般信徒ではなくて、牧師になりたい」という風に志して、勉強して、牧師になって、今は牧師として仕事をしていたりして。なんとなくその……
お母様がですか?
そうなんです、はい。
すごい。
プロテスタントは女性でも牧師になれるので。
へぇ、はい。
そういう風に、信仰とかっていうものには触れたりしていて。でも、母は、母曰く「自分はあまり頭が良くなくて、哲学にずっと憧れはあったのだが触れられなかった」という思いがあったらしく。
なるほど。
私が哲学とか言い出して、ちょっと嬉しかったようなことを言っていた節があります。
その後、大学とかに進まれて、勉強して、そのなんか思った通りだったとか、そういうのありますか?
これもよく言いますけど、哲学っていうと、自分の考えたい謎みたいな、それこそ「江戸時代は存在するのか」みたいなことをこう悶々と考える学問だなと思っているのがあると、哲学科に入るとちょっとギャップはやっぱりあって、過去の哲学者の思想を体系的に学ぶとか、語学をしっかり、私はドイツ語でしたけど、語学をしっかりやるとか、そういうこう体系的な教育を受けることになるので、あんまり自分の問いを素手で考えるっていう場所ではちょっとないんだなっていう風には思っていたかもしれないです。
ふーん、なるほど。でも、やっぱり自分の問いを考えるところが本当にやりたいことだっていう思いがあったっていうことですね?
うーん、そうですね。なので、大学1、2、3年生ぐらいまでは、そんなに別に熱心な哲学科の学生……、めちゃくちゃ熱心な学生ではなかったというか。大学院に結局行きましたけど、あの、私より優秀に、というか熱心に、哲学書を読んだり、勉強したりする人はもっとたくさんいたなぁという感じがあります。
うん、うん。そこから何か色々、こう、社会に出ていく上で色んな道に行かれるわけですよね、きっと?
はい、哲学科の学生もそうですね。
それで、おがぢさんはなんか教師になるとか、対話の道に行くみたいなことをどこかで決めたってことですか?
まあ、まず就職する、大学院に行くかどうかっていうところでも悩みましたけど、大学院、もうちょっと勉強したいなと思って。その時点では哲学の研究者になりたいと思って。
へぇ。
その、対話とかとは関係なく、私はドイツのカントっていう哲学者の倫理学を勉強していたので、カント倫理学で研究者になれたらそれが一番いいかなと思って、大学院に行って。でも途中で、学部4年ぐらいで哲学対話という活動に出会って、そっちにも興味が湧きだして、あの、業界事情というか、大学院に行って、哲学のガチガチの研究者を目指そうとしても、それだけだとなかなか食べていけないし。
うん。
厳しいので、副専攻みたいな感じで、もう1個ぐらい専門持っておくといいよね、みたいなのがあるので、カント倫理学と哲学対話、両方大学院でやりたいなと思って、入り、徐々に哲学対話の方に力点というか、強調がシフトして行って。で、それで仕事するとなったら、やっぱり学校でそれを教えるということなのかなという風な関心の移り方なのかなという風に思います。
なんか今、山口県に行かれて、高専でやってるっていうのは、何かご縁があったみたいなことなんですか?
高専っていうのは、高等専門学校って高等って付くように、高等教育機関なんです。まあ、大学と同じ位置づけの学校です。
ふん、ふん。
ただ、入ってくる学生さんは中学校卒業、主にですけど、中学校卒業した高校1年生相当の人たちが受験して、5年間教育する機関なんですけど。
はい。
高等専門学校なので、教員は、教員って名乗ることもありますけど、研究者の人たちが多いというか、大学院を出て博士号持ってる人たちがほとんどの空間なので、大学院を出た自分にとっては、教員もやりたいし、研究もやりたいっていう自分にとっては、そもそも目指したい選択肢だったっていうのがあります。
はい、はい。
もう1個は、東京の高専で仕事をなさってる哲学対話の先輩がいて、その方にすごく勧めてもらって、「高専っていうポジション向いてるかもよ」って言ってもらったので、進路として考えるようになり、ちょうど練馬に暮らしていた時期に高専……、高専は学校ごとに募集を出すので、全国の高専の試験を受けてこう赴任するとかじゃなくて。
あぁ。
山口県の今いる高専が「哲学、倫理学の教員を募集してます」っていう募集を見て、「全国どこでも高専なら行くぞ」というつもりだったので、受けて、幸い合格をいただいてっていうような流れになります。
そもそも枠がそんなになさそうですよね?
そうですね、高専は工業系の技術者を育てる学校なので、哲学、倫理学の先生って1つの学校に1人いるか、あるいはいないかっていう感じなので、全国50ぐらい高専がありますけど、50人いるかいないか、で、お一人辞められたときに、その後釜が募集されるっていう感じなので、すごく幸運でしたし、ありがたかったですね。
なるほどね。私、元・理系だったので、大学のときに。高専出身の人で、途中から大学に入ってくる人とかいましたね。だからそういう工業系のことをやる、私、工学部だったので、工業系のことをやるっていうイメージが確かにあったけど、その通りっていうことですね?
そうですね。
ふーん。じゃあ、その普通の高校とか、中学とかの先生になるよりも、自分の研究もできるって感じなんですか?
はい、そうです。えっと、研究もするっていうのが、仕事の範囲になっているので、研究論文を出したりっていうことも、仕事の一部で、何て言うんでしょう、「論文を何本出したか」っていうことも評価に関わるっていうか、「やってください」っていう立て付けにはなってます。もちろん、現実的には、学内の公務がすごく大半を占めるので、大変ではありますけれども、まあ、こう研究者としての資格を与えてもらっているっていう部分はあると思います。
へぇ、そういうのも評価に関わるっていうのはいいですね。
そうですね、こう、理系とか専門の先生方は学生さんを、4、5年生の学生さんを持って研究室っていう単位を作って、卒業研究したり、まあ、卒業研究指導して論文発表したりっていう、まあ、大学の研究室みたいなことをやってらっしゃるので。
なるほど。
やはり研究っていうことを、研究と教育がセットであるっていう意味では、大学と同じポジションかなと思います。
へぇ、全然知らなかったです。教員っていうか、教師っていうことになるんですか? 肩書き的には?
まあ、肩書きは難しいですね、えっと、私は教員免許を持っていますけど、教員免許を持たずにもなれるので。
あぁ、本当に大学みたいな。
そうですね、募集の際には「教員免許を持っていることが望ましい」という風に書かれることがありますけれども、法律上というか、資格として必須ではないので。
ふーん。
教員っていうのはちょっと「研究者です」って名乗ると、こう仰々しいので、人前では「教員してます」って言うことが多いですけれども。
うん、うん。
いわゆる教員免許を持って教職についている人を教員と呼ぶとすれば、むしろ研究者って呼ばないと、そんなに教育の専門家じゃない場合もあるので、という風に言えるかなと思います。
へぇ。
まあ、大学の先生も自分のことを大学教員って名乗ることがある気がするので、まあ、似たようなものかなと思います。
なるほど、なるほど。へぇ、面白いですね、高専のこと全然知らないなって思いました。
私も入るまでも知らなかったですし、入ってからもまだよくわからない仕組みもあるっちゃあるし、面白い、不思議なところではありますね。
へぇ、その5年間って、5年間って仰ってましたけど。
はい。
いわゆる1年生から5年生まで。
はい。
全部の倫理の教科を教えるっていうことですか?
えっと、そうですね、ただ、私1人しかいないですし、科目としてもそんなにたくさんはないので、いわゆる高校で学ぶような倫理っていう科目は2年生に配置されるので、私は主に2年生に対して倫理という授業をしています。
ふーん。
それ以外に、えっと、一応社会科の所属なので、現代社会っていう授業を、他の先生方と一緒に、1年生に対して担当したりとか。
ふーん。
っていうのが主な仕事ですね。5年生にちょっと社会科系の専門科目があるので、それを担当することがあったり、あとは、ちょっと複雑になるんですけど、5年間を終えた後で、大学院みたいなイメージで専攻科って言ってさらに2年間学ぶことができるんです、高専は。
はい、はい。
そうすると、7年間学ぶと大学4年生と同じ年齢になるので、学士号を、学内で取得できると。その専攻科の中でも、ちょっと担当する授業があったりという感じですかね。
なるほど、面白いですね。えっと、またその哲学対話のこととか、高専のこととかは、別の週に詳しくお伺いするとして、今日はちょっとそろそろお時間になりましたので、この辺で終わりにしたいと思います。
はい。
以上、栃尾江美と。
おがぢでした。
<書き起こし、編集:折田大器>