
仏教や悟りの世界ってふかーい印象があります。その触りだけでもと、お坊さんYouTuberである武田正文さんにお伺いしました。質問をするたびに「そういうものではないんです」という回答をいただき、私は普段どれだけ固定観念にとらわれているのだろうかと感じましたね。少しだけ、仏教の入り口(?)が見えたかもしれません。

クリエイティブの。

反対語。

こんにちは、ストーリーエディターの栃尾江美です。

こんにちは、お坊さんYouTuberの武田正文です。

このポッドキャストは私、栃尾江美が好きな人やお話したい人をお呼びして、クリエイティブに関することや哲学的なことを好き勝手に話す番組です。はい、えっと、では、5回目ですね、武田さん、よろしくお願いします。

はい、お願いします。

ようやく仏教のことをね、お伺いしようかなと思って(笑)。

はい、ぜひ、ぜひ。

仏教ってですね、私なんか色々本を読みたいなと思いつつ、結構哲学とかも好きだったりするので、その本を読みたいなと思いつつ、毎回挫折するんですけど、途中で。

はい、はい。

でも、結構読み切れたなと思うのが、アルボムッレ・スマナサーラさんの。

はい、はい。

本を何冊か読み切れたんですよね。

あぁ、いいですね、いいですね。

結構言ってることが、なんか本当っぽいなっていうか(笑)。

ホントですよ、すごい……。

上辺じゃないなみたいな。

えぇ、えぇ。

感じがして面白かったですけど。お会いしたことあるってさっき仰ってましたね?

はい、そうなんです。私もですね、スマナサーラ長老の瞑想会に2回かな? 行ったことがあって。

瞑想する会なんですか?

そう、そう。あの、私はですね、浄土真宗っていうのは実は瞑想とか座禅ってやらないんですよ。

あ、はい。へぇ。

やらなくて、だから全然知らないんですけど、たまたま知り合いのお坊さんがいて、「スマナサーラ長老が来るから、ちょっと体験としてやってみないか」っていう風に言われて、「それはちょっと行ってみよう」っていうことでですね、行って受けたんですけど、面白くって、やっぱり仏教の基本になるんですよね。

へぇ。

で、スマナサーラ長老がやっておられるのが、テーラワーダっていって、上座仏教ですね。タイとか、スリランカとか、その日本に来た仏教じゃなくて、インドに昔から残ってる仏教で、昔のまま残している仏教なんですよ。

ふーん。

その根本的なプラクティスを教えてくれたんですけど、こう歩く瞑想とかね。ゆっくり歩くんですよ。

はい。

めちゃくちゃゆっくり歩くんですよ。

はい、止まってるかのように(笑)。

止まってるかのような速度で歩いて、関節の動きを感じるとか。

あぁ。

で、手を上げるのも「ゆっくり上げなさい」とかって言われるんですよ。もうあれがね、すごい新鮮な感覚で、「あぁ、こういう世界があるんだな」って思って、体験した記憶があります。

ふーん。面白い。

うん、長老の本だと、僕好きなのは、『怒らないこと』っていう本があって。

あ、読みました。

あれがすごい良い本だなって、もうバイブルですよ。怒ったときいつもあの本を思い出します。

(笑)なんだっけ、なんか「突然後ろから、よく訳の分からない人が来て、殴られて、殺されたとしても怒るな」っていう話ですよね(笑)。

そう、そう、そう(笑)。すごいなって思って(笑)。

(笑)もうそれ、忘れられない(笑)、忘れられないっていうか(笑)。

格好いいんですよね、表現がね、色々。

そうですね。

結構スマナサーラ長老、ズバズバ言う人だから。

あぁ。

なんかすごいんですよ、言い方とか。生で聞くとよりすごいですよ。

へぇ。

(笑)。

なんかホント、バッサバッサ切っていく感じですよね、「そんなの意味がない」みたいな。

うん、で、その講演を文字起こししたのが、ご著書になっているので、面白いんですよね。

そっか、そっか。

読みやすいし。

忌憚なく言ってるっていうか。

そう、面白い、面白い。

私もね、Youtube観たことあります。

あぁ、Youtubeやっておられますね。

ご本人じゃなくて、誰かが収録したような。

協会があるんですよ。

あ、そっか、そっか。

テーラワーダ協会があって、協会の皆さんが長老の講演を出しておられる感じです。

はい、はい。すごい日本語流暢で。

そう、そう。

ドライな感じで、バッサバッサ切っている(笑)。

ドライな、バサバサ(笑)。

そうですね。なんか仏教の世界って、まあ、いわゆる「悟る」ってあるじゃないですか?

うん、うん。

あれって、スマナサーラ長老は悟ってると思いますか?

なるほどね、これね、ここに色んな考え方があって。

はい。

仏教を始めたのが2,500年前のインドのお釈迦様っていう人がいらっしゃって。

はい。

お釈迦様が悟りを啓いたんですよね。

うん、うん。

で、お釈迦様が悟ったのを「我々も、お釈迦様の教えに従ったら悟れるだろう」ということで、皆修行を始めたわけですよ。

うん。

で、それで色んな修行があって。で、テーラワーダとかですね、長老がやってるもの、仏教とかっていうのは悟りのためのプロセスがすごく綿密に作られてる、プログラムが。

はい。

で、それをやればやるほど悟りに近づくっていう考え方があって。で、一方で、日本仏教っていうのは、「そうは言っても悟れないよね」っていうところから実は始まってて。

そうなんだ。はい、面白い。

そうなんですよ。だから、いくら頑張ってやっても、「いや、煩悩ってあるじゃん」とか、「いくらそんなに鍛えたとしても,悲しい気持ちとか、腹が立つ気持ちって湧いてくるから、いや完璧な人間にはなれないよね」って。じゃあ、そんな人間がどうやって仏教していくのかっていうので発展して行ったのが、中国から日本にかけて来た大乗仏教っていうものの流れなんです。

ふーん。

ちょっと考え方が違うんですよね。

へぇ。じゃあ、武田さんのスタンスとしては、「いや、悟れやしないよ」っていう感じ?(笑)

(笑)僕はね。

いや、いや、人間は。

悟りの議論って、これ結構大事なのが、「人が悟れてるかどうかの判定」ってあんまりすると議論がおかしくなっちゃうんですよ、実は。

そうなんですね。

「あの人は悟れてるよね」とか、「悟れてないよね」とかって外から言うのって、やっぱりその人の心ってわからないのに決めつけちゃうじゃないですか。

はい。

そうじゃなくて、あくまでやっぱりこれって自分に向けた言葉にしなきゃいけなくって。

ふーん。

自分は悟れてるのか。

うん。

もっと言うと自分は悟りに近づくような生き方が出来てるかどうか。

うん。

っていうのを問い直すのは、あくまで自分に向けていかないと、「あの人が」とか、「この人が」とか言ってると、ちょっと話が変な方向に行っちゃうんですよね。

ふーん。じゃあ、あくまで自分が、でも、まあ、「悟った」という風に完了するというよりは、「悟りに向かってる」という風に。

そう、そう。あ、でね、そうなんですよ。で、悟りっていうと、いきなりモノの見え方が変わって、世界が変わったみたいな。

神になるみたいなね(笑)。

そう、そう。イメージあると思うんですけど。

はい。

でも、実はね、もともとは「目覚める」みたいな意味だったんですよ。

うん、うん。

寝てた人が目が覚めるみたいな。

そういう字書きますもんね、覚めるっていう(覚り)。

そう、そう。目覚めるみたいな感じなので、なんか寝てたり、ぼんやりしてたら外の世界よく見えないけど、よりクリアに見えるみたいな感じなので。

はい。

悟ったような心の状態に近づけることはもちろんできるし、悟れるような心の鍛え方っていうのはやっぱりできるわけで。

はい。

じゃあ、それが皆が自分ができてるかどうかっていうのは判定できるはずなんですよね。

うん。

心がしっかりコントロールできていて、掴めてるときっていうのは、やっぱり目覚めてるときですけど、怒ってるときとか、イライラしてるときって全然冷静に見えないですよね、色んなことが。

うん、うん。

ああいうときっていうのは、やっぱり悟りとは遠い自分にあるっていう感じになるんですね。

うん、うん。

状態像っていうね。

なるほど、人によっても、近いときもあるし、遠いときもあるって考え方ですか?

の方が、人間の実態には近いかなと僕は思います。で、これもね、色んな理論が実はあって。

へぇ。

そういう考え方。日本はどっちかっていうとそっちですよね。

はい、はい。波があるみたいな。

うん。

へぇ。いや、なんか本当に自分が怒っちゃったときとか、イライラしちゃったときとか、「未熟だなぁ」みたいな。別にまあ普段悟りを目指しているわけじゃないですけど、「なるべくこうそういうことに惑わされない自分になりたい」みたいに思うわけなんですよ、私なんかは。

うん、うん。

だから、「すごい未熟だな」って思うけど、「まあ、そういうときもあるよね」って感じですか?

そうなんですよね、その「未熟だな」とか落ち込むときとかっていうのがあるじゃないですか。

はい。

それをなんか「いや、まあ、こんなときもあるさ」とかって言って頑張れるときって、まあ、でも、言うても元気なときじゃないですか?

うん。

元気なときはできるんですよ。まあ、元気なときはそれでもいいし。

はい。

でも、一方でそれができないようなどん底にいる状態っていうのが、人生の中でやっぱりいくつかあって。

うん。

圧倒的に傷つけられたときとか。あとは、自分の病気とか、大事な人が亡くなったとか、自分の死とか。で、そういうものが目の前に来たときには「いや、まあ、いっか」とかって言えないじゃないですか?

なるほど、はい。

そういうときに悟りのクリアな気持ちでいられるっていうのは、まあ、理想的なんですけど、それって人間ってやっぱりちょっと難しいわけで。

はい。

そういうときに、まあ、浄土真宗でいうと、あのぉ、阿弥陀如来、「南無阿弥陀仏」の阿弥陀如来なんですけど。

はい。

阿弥陀如来っていうのは、そういうのが出来ようが出来まいが、無条件に支えてくれる存在があるんだっていうことを言うわけですよ。

ふーん。

そうなると、なんか自分で「まあ、いっか」って言えようが言えまいが、大丈夫な世界があるっていうのをひたすら言い続けるのが仏教で、で、これって自分で思えないじゃないですか?

はい。

「自分で大丈夫」って思えないから、それを周りから価値観として、「こういう世界があるんだよ」っていうのを、提示し続けるのがお坊さんの役割かなっていう感じですね。

ふーん。

ややこしい話ですね(笑)。

(笑)自分で思えないけど、そういう風に周りから言ってもらうことで、少しずつ回復していくみたいな感じですか?

うーん、なんかね、回復できても、できなくてもいいんです、実は。

なるほど、はい。

例えば、今、僕も椅子に座ってるんですけど。

はい。

この椅子って、なかったらここに居れないじゃないですか? で、椅子がここにあるためには、床が必要なんですよね。

はい。

で、床がここにばっちり立ってるためには、この地面がしっかりしてなくちゃいけなくって。で、こういう自分が今ここにいる、存在できてるっていうことの時点で、すでに実は、色んなものの力によって支えられて、ようやくここに安定して座ってるっていうことがあって。で、この目に見えないし、普段は考えもしないような力っていうものが、周りにいっぱいあって支えてくれている。で、「これを仏と呼ぼう」っていうのが、仏教の基本なんですよね。

ほぉ。

で、「その目に見えない支えてくれている力に気付いていきましょう」というのが、仏教的な生き方っていうことですね。

へぇ。

だから、その中で自分が善い行いができようが、できまいが、実はあんまり変わらない。椅子は椅子。椅子は変わらない。椅子の上で、腹を立ててようが、じっと座っていようが椅子は変わらない。

うん。

だけど、「仏様、悟りに近づきたいんだったら、怒りはなるべく抑えよう」っていう話なんですね。

うん、うん。

ややこしいですね(笑)。

へぇ。「それに、支えてくれるものに感謝しよう」っていう話でもないわけですね?

感謝はもちろんしようっていう話ではあるんですけど、感謝ができる人はそりゃもちろんした方がいいんですよ。ただ、感謝をしたから救われるとかじゃなくて、この救われているこの世界の構造っていうのはもう「在りき」なんですよね。

もう救われていると。

そう、そう。「あなたがどんな人間であっても、大丈夫っていうことになってる」と。

うん、うん。

で、「それに気付けたら感謝をしてくださいね」っていう感じですよね。

ふーん、その……。

ややこしい論理なんですよ(笑)。

はい、はい、普段こうすべきとか、こうした方がいいみたいな固定観念を崩してくれるような感じがしますよね。

そう、そう。そうなんですよ。だから、例えば、最近で僕も必要だなと思うのが、いわゆる自己啓発みたいな情報とか、世の中で成功するためのノウハウみたいなものが、まあ、いっぱいあるじゃないですか?

はい。

そういうのってやっぱりすごく大事で、そこで学んでやっていくっていうのは必要なんですけど、その価値観だけになっていると、そこで上手くいかなかったときに「俺は負け組だ」ってなっちゃうんですよね。

うん。

「もうダメだ、立ち直れない」ってなるんですけど。

はい。

「いや、そうじゃない」と。その道っていうのは、本当に人生の中の小さいところで、試しに色々やってるだけで、上手く行こうが行くまいが、仏目線で見ると全部すごく小さいことなんですよね。

うん。

人間のやってる行いなんていうものは、成功しようが、失敗しようが大したことではないっていうような、すごい大きな視点でモノを観る、人生を眺めることができるっていう価値観を自分の心の中の一歩に、一個持っておけば、目の前でやってることっていうのが、傷つけられても、上手くいかなくても大したことじゃないって思える自分になるので、仏教の柱っていうのを持っているとブレにくい自分っていうのが作れるなっていう風に思ってますね。

なるほどね、逆にその、これは極端なことかもしれませんけど、そっちに振れ過ぎちゃって日常がどうでもよくなっちゃうみたいなことはないんですか?

あります、ありますよ。

(笑)ありますか?

そりゃぁ、いっぱいある、いっぱいある(笑)。で、そういう人がやっぱり格好いいお坊さんになってますよね、そういう人って。

えー、「頑張らなくてもいいじゃん」みたいな。

「もう、なんもいい」と(笑)。

うん、うん。

それで「山奥で儂は静かに暮らす」みたいな格好いいお坊さんって、世の中いっぱいいますからね、ホント。

へぇ。

結構私も尊敬する人やっぱりいっぱいいますけど。

はい。

「本当、この人お坊さんらしいな」と思って、「素敵だな」と思う人やっぱりいて。

ふーん。

で、まあ、そういうスタイルもあるし、まあ、僕なんかは、一方で「誰に何を言われても怖くねぇから、どんどんYoutubeでもなんでもやったろうかい」みたいな感じの(笑)。

うん、うん。

ちょっと別スタイルで行ってるんですけど。

うん、うん。

それもなんかあれですよ、最初、「叩かれるからどうの」とか、「アンチがどうの」とか皆言うんですけど、「いや、そんなの大した話じゃない」と。

確かにね。

「届けるのがお坊さんの役割です」「Youtubeをやろうじゃないか」ということで、やってる感じですよね(笑)。

うん、うん。その仏の視点から見れば大したことじゃない、と。

そう、そう、はい。

ずっとそこに居続けることはできないから、日々、やっぱり細かいことで一喜一憂したりするんだけど。

あぁ、そうですね。

ときどき、やっぱりそこに戻るみたいな感じですかね? 感覚的には。

そうですね。我々なんかはやっぱり朝晩お参りしたりとか、日中でもお参りして手を合わせる機会がいっぱいあるんですけど、手を合わせて「南無阿弥陀仏」と合掌するのが、そのリセットするときなんですよね。

ふーん。

「手を合わせて念仏したら、その声の仏様になって自分のところに来てくれる」っていう言い方をするんですけど。

うん、うん。

そのときに、「いや、あなたちょっと落ち着きなさい」って言ってるかもしれないし、「いやいや、そんな細かいことでクヨクヨせずに突き進め」って言ってくださってるかもしれないし、そういう考え方を仏視点から切り替えるみたいなスイッチっていうのは、すごく役に立つと思う。で、これを1日の中に何回か持つことができたら、かなり心にゆとりをもって、色んなことに取り組めるでしょうね。

なるほど、自分の心の中に何か気付かせるスイッチみたいなことなんですね。

うん、うん、そう、そう。

あぁ、そうなんだ。最後にもう一つあれなんですけど、何のために悟るんですかね? 悟りたいって思うんですか?

これは、もうね、明らかにですね、自分が幸せになるためって感じで。

そっか、苦しみ……。

で、自分が苦しみから解決して豊かに生きるためにやっぱり悟りたいという感じですね。

うん、うん。なんか苦しみがある人生の方が美しいみたいなことはどう思いますか?

(笑)苦しみはあるんですよ。一切皆苦なんですよ、ベースは。

そっか、そっか。

苦しみしかないんですよ、もう人生っていうのは。もう苦しみしかないんだけど、その苦しみをどう乗り越えるかっていうところを目指していくので、もう永遠の問いですよね、悟りって。

ふーん。

もう問い続けていくんですよ、人生をかけて。

うん、うん。

だから、ここで終わりとかっていうんじゃなくて。

はい。

で、よく言いますけど、剣道とか柔道って「道」がついてるんですよね、仏道もそうですけど。

うん。

剣道も、柔道もそうですけど、八段まで行ったら終わりじゃないじゃないですか?

あぁ。

達人の人も結局ずっと練習するじゃないですか? 剣を振り続けるわけです。だから、仏道も一緒で、悟りっていうのはここまできたら終わりじゃなくて、そこから先も修行はするし、お経は読むしっていうのをやる。だから、まあ、長老もそうですよね、スマナサーラ長老もいまだに瞑想はするし、皆とこうやって話をしながらたぶん自分を深めておられるんだろうなっていう意味では。

そっか。

人生をかけてずっと問い続ける。悟りとはっていう。

なるほどねぇ。この短い時間じゃあ、なんか分かりようがないですけれども。

(笑)。

なんとなくその取っ掛かりはね。

そうですね。

「こういうのを書いてある本をちょっと読みたいな」みたいな気持ちになったりしますね。

あと、Youtubeをご覧くださいませ。

そうですね、『仏心チャンネル』を。

『仏心チャンネル』を皆さん観てください。

観させていただきます。

仏教、色んなね。

そっか、そっか、面白い。

Youtubeラクですよ、本より(笑)。

確かに(笑)。

観てればいいから。本はやっぱり読むの大変ですからね。

そうですね、ありがとうございます。じゃあ、えっと、今回最後になりますけど、今まで5回ね、ありがとうざいました。

はい、ありがとうございました。

では、以上、栃尾江美と。

武田正文でした。
<書き起こし、編集:折田大器>
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