
コーチであり、コーチを育成する講師でもあり、味方学やエンディングノートのワークショップファシリテーターであり、友人でもある野田恵里(めぐり)さんにゲストに来ていただきました! まずはめぐりさんがどんな方かを紹介します。来週以降は、味方学(コーチングって誰かの味方をすること!)や、エンディングノートの話などをお伺いしていきます!
栃尾クリエイティブの。
野田反対語。
栃尾こんにちは、ストーリーエディターの栃尾江美です。このポッドキャストは私、栃尾江美が好きな人やお話したい人をお呼びして、クリエイティブに関することや哲学的なことを好き勝手に話す番組です。今日は、声が変わりましたが、野田恵里(めぐり)さんに来ていただきました。パチパチパチ(拍手)。
野田(拍手)。
栃尾自己紹介をお願いしてもいいですか。
野田はい。野田恵里と申します。
栃尾うん。
野田自己紹介?
栃尾何をしているか。
野田何をしているか? そうですね。特には今、まあ、コーチングの活動をしていますね。人のお話を聞く。
栃尾うん、うん。マンツー?
野田マンツーもやってますが、今はグループワークもありますね、まあ、少人数でね。
栃尾うん、うん。あ、それもコーチングって言うの?
野田そうね、それもまあ、グループワークの、コーチングのワークショップ。
栃尾ふーん、なるほどね、はい。私が恵里さんと知り合ったのは、うちの近くでやっていた「めばえ」? 正式名は何て言うんだっけ?
野田「NPO法人 自然工房めばえ」さん。
栃尾めばえさん、「自然工房めばえ」さん、はい、はい。古民家をね、コミュニケーションスペースにしたところで、恵里さんが「味方学」のワークショップをしてたんだよね?
野田そうですね。
栃尾うん、うん。このあと、味方学については詳しくお伺いしたいんだけれども。
野田うん。
栃尾そこで……、なんで私行ったのか、ちょっとはっきり覚えてないけれども、なんか自分をこう、そういうところで自分の内面を深めたいなと思って行った気がするんだよね。
野田うん。
栃尾うん、うん。それで、恵里さんの佇まいとかさ。
野田佇まい(笑)。
栃尾ファシリテーションとかさ。
野田うん。
栃尾すごい素敵だなと思って。
野田あら、ありがとうございます。
栃尾そう、そう。通ってた気がしますが。
野田うん。
栃尾行けないときもあったけどね。
野田うん。
栃尾でも、結構行って。
野田うん。
栃尾いろいろ変化のときだったから。
野田うん。
栃尾うん、面白かったなと思って。
野田うん。
栃尾今は、そういうワークショップも味方学とかも結構やってるの?
野田そうですね。そこのね、「自然工房めばえ」さんで今もう4年目かな。3年目、4年目で味方学と、エンディングノートを同じ日にやってます。
栃尾あ、同じ日に? 朝と午後みたいな?
野田そう同じ日にね、時間を。朝と昼過ぎとか。
栃尾うん。
野田そこでやっているのと、あとは新宿、そこ(自然工房めばえ)は練馬区なんですけどね。
栃尾うん。
野田あとは新宿でも、その味方学とエンディングノート、マンダラエンディングノート®っていうワークショップをやっています。
栃尾うん、うん。あと、コーチングの講師もしているんでしょ?
野田そうですね、自分が学んだところ、「コーチングアカデミー」っていう、もともとは名古屋が発祥なんですけど。
栃尾へぇ。
野田東京校は市ヶ谷に学校が、学校というか学ぶ場所があって。
栃尾うん。
野田そこの東京校のインストラクターとして、コーチになりたいっていうのかな、コーチングを誰かに活かしたいっていう人に対してコーチングをお伝えする。
栃尾ふーん、コーチングはさ、どれぐらいやってるの?
野田コーチングは学び出したのは2009年だから、11年前。
栃尾おぉ、結構長いね。
野田そう、だけど、まあ、何て言うのかな、誰かのためにというか、人のためにというか、それまでは自分のためにコーチングを活かすっていう感じね。
栃尾あ、そうなんだ。
野田コーチングには色んな見方があるんですけど。
栃尾うん、うん。
野田「誰かをコーチする」っていうよりかは、「自分の人生のために」っていうのが、5年ぐらい続いて、特に、5年ぐらい前ですね、2015年あたりから、人が使えるようなコーチングを提供するとか、誰かのためになるようなコーチングを知りたい人に、そのコーチングのエッセンスをお伝えするっていう、その伝えるっていうのは5年ぐらい前からですね。
栃尾ふーん、誰かにコーチングをするんじゃなくて、コーチングのエッセンスを伝える、その講師を養成するっていう意味?
野田そうね、そちらの方が自分としてはやりたい度合いが大きくて。
栃尾へぇ。
野田まあ、1対1のね、とっちーさんもちょっとやってくれたけどさ。
栃尾うん。
野田コーチングを、1対1でももちろん、コーチとクライアントさんっていう形で受けていただく形もあるし。
栃尾うん。
野田だけど、その方がより誰かに活かせるようなコーチングってこういうものだよねみたいなのが伝えられたり、その人の人生自体が豊かになるようなコーチングのエッセンスを伝えるっていうのが、割合的には多いですね。
栃尾あぁ、そうなんだ。
野田うん。
栃尾そのさ、コーチングアカデミーと味方学っていうのは関係ないっていうか。
野田あ、そう関係ある。
栃尾組織としては。
野田関係あるの、鋭い。
栃尾鋭いかな(笑)。
野田コーチングって言っても、正直私も最初まったく「コーチングって結局なんだろう?」みたいな。学べば学ぶほど、たぶんとっちーもそうだと思うんだけどね。よくわからない。定義があんまりないんですね、日本で特にね。
栃尾うん、うん。
野田なので、そこで味方学っていうのができて、また、お話するけれど、「誰かの味方になりたい」っていう。
栃尾うん。
野田コーチングも、「誰かに活かしたい」って思ったときに、それが「誰かの味方になりたい」っていう、その誰かっていう人を想像したりとかっていう風に、もうちょっと日常的にコーチングアカデミーのエッセンスをコーチングを学ばなくても、例えば子どもでも、おじいちゃんおばあちゃんでも使えるようなっていう意味で、味方っていう、で、それを学問として味方学っていうのが、コーチングアカデミーの中の東京校の中からでき上がったっていう感じ。
栃尾あ、そうなんだね。
野田そうなんです。
栃尾わりとなんか、コーチングみたいに、えっと、がっちりしてないけど、もっとライトな感じでやろうよって感じ?
野田そう、そうですね、ライトな感じで。
栃尾うん。「日常に」って今言ってたけどね、そういう感じでってことか。じゃあ、エンディングノートのほうもそのコーチングアカデミーの中での活動なの?
野田エンディングノートは、コーチングアカデミーの東京校の校長が、そのマンダラエンディングノート®っていう。
栃尾はい、はい。マンダラね。
野田そう、マンダラなんですよね。まあ、味方学もマンダラの、マンダラチャートのエッセンスが入ってるんですけど。
栃尾うん。
野田そのマンダラエンディングノート®っていうのを、作ろうとした人、まあ、エンディングノートを作っていた葬儀社さんと一緒にやったので、味方の考え、その味方学の考えとか、コーチングアカデミーの考え方は入ってるんですよ。
栃尾うん。
野田ただ、コーチングアカデミーと味方学みたいな、そういう「中のもの」というかね。
栃尾なるほどね、包含関係ではなくて、ちょっと外に出て、協業したみたいな感じ。
野田あぁ、そうね、そうそう。
栃尾なるほど、なるほど。私の頭の中で、ベン図が、丸いベン図が浮かんでるけど(笑)。
野田うん。
栃尾なるほどね。へぇ。あとさ、ホントいろいろやってるよね。あと、アロマとか、ハーブとかもやってるんでしょ?
野田そう、なんで。アロマとか、ハーブとかも、もともと、この話してしまっていいのかな?
栃尾もちろん。
野田リフレクソロジーってね、一番最初に、こういう誰かの役に立ちたいってことの始まりは、足裏ね、リフレクソロジーを学んで。
栃尾なるほど。
野田そのときに体だけじゃなくて、心のケアにもなるっていうのがまずわかったし、だったら、心の方もケアして行きたいって思ったときに、コーチングだったり、で、そこでバランスを取るって言う意味合いもあって、植物の力?
栃尾うん。
野田そこでアロマセラピーを、だから10年ぐらい前。
栃尾うん。
野田だから、足裏やって、コーチングちょっとやり出して、アロマセラピーしっかり勉強し出したみたいな流れで。
栃尾ふーん。
野田でも、心と体の両面からサポートしたいっていうのが基本。
栃尾ふーん、なるほどね。で、今は心が中心って感じ?
野田そうね、まあ、そのハーブとかアロマはね、体にも作用するし、心にも作用するし。
栃尾そっか。
野田で、足裏はね、ちょっとこのご時世もあるのと。
栃尾あー、会えないからね。
野田そうね、そういうのもあるけど、まあ、細く長く実は施術はしているし。
栃尾ふーん。
野田そう、実は足裏もインストラクターだったのね。だからそれで教える……。
栃尾あぁ、教える人に教えるんだ。
野田たぶん、教えることが好きなんだよね。
栃尾へぇ。
野田あとは、伝えるとか。
栃尾うん。
野田そう、それもご依頼があったら、リフレクソロジーを、技術を学びたいっていう人にお伝えしてたりとか、っていうのもまあやってます。
栃尾ふーん。え、教えるのも好きだけどさ、勉強も好きなんでしょ?
野田あ、ね、好きかもねぇ……(笑)。
栃尾(笑)。次から次にそうやって勉強してね。
野田そうね、でも、全部背負って歩いている感じだから、なんだろうな、それがまた繋がっていくっていう感じ。
栃尾そうだね。
野田アロマセラピーやったら、「うーん」って思って、ハーブ、メディカルハーブの世界にも広がるとかね。
栃尾うん、うん。
野田そう、そう。まあ、「全部繋がってるな」っていう風に考えてます。
栃尾なんかそのさ、「全部人のために」みたいな、もちろん、ビジネスって人のためなんだけどさ。
野田うん。
栃尾直接的にでもないのもあるでしょ? 「直接的に人のために関わっていく」っていうのはさ、もともとそういう人だったの?
野田あぁ。
栃尾そういうのに興味があったの?
野田人に……、あのね、最初の仕事の話をしていいのかな?
栃尾うん、もちろん。
野田最初ね、私キッチンメーカーに勤めたんですよね。
栃尾システムキッチンとか、そういうこと?
野田そう、そう。システムキッチンのショールームレディだったわけです。
栃尾ショールームレディ、はい、はい。説明するのね。
野田そう、20年前に、CADとか、大きなパソコンのさ、後ろがまだ大きいときの。
栃尾うん。
野田そう、だから、人に、就職活動のときに全然やりたいことが見つからなかったんだけど、正直。
栃尾うん。
野田でも、心理学の学校に行ってたから、大学が。本当は心のことを深めたかったんだけど、それはその時の先生に「お金にならないよ」ってすごい言われたの。
栃尾はい、はい。言われそう。
野田それは今でもわかるけど、たぶん新卒でそういう心のこと関係とか、大学院を目指すっていうのは、たぶん私には、たぶん「その時やらなくてよかったな」って後から思ったから。
栃尾ふーん。
野田社会経験して、だから、今たぶんコーチングとかね、すごいやってるの。で、もともと心がすごく気になっていて。
栃尾うん。
野田心のことを勉強して、それで、でも絞り出した就職先っていうのが、人に提案できることっていうのがね。
栃尾ふーん、なるほどね。
野田唯一なんていうの、自分でそれならできるなみたいな。それで、キッチンメーカーに入って、もともと建築系とかも好きだったからね。
栃尾うん、うん。
野田で、提案したりとか、一緒に考えるとか、深い関係が好きなんだよね。その一人の人とか、その一人のご家族とかさ。
栃尾ちゃんと向き合ってみたいなね、寄り添ってとかね。
野田そう、寄り添って一緒に作っていくのの手伝いみたいなのは好きだったっていうか。
栃尾へぇ。
野田「それならできる」って思ったのかな。
栃尾うん、うん。じゃあ、そういう興味の方向が元々あって、心理もあって、そういう方向に来たんだね。
野田そう、そう、そう。
栃尾へぇ。でも最初はリフレクソロジーだったんだ。
野田そう、そのときに、やっぱり社会人3年目のときに、やっぱりこう、何て言うのかな、「うまくいかないな」みたいなのが、3年目の壁みたいなのがね、あったときに、たまたまリフレクソロジーみたいなのを受けたときにね、もう感動したわけですよ。
栃尾うん。
野田そう、「体を癒しに行ったのに、心が癒された」っていうか。
栃尾へぇ。
野田自分の中のその変化。あ、「こんなに気持ちいいんだ」みたいなね。その、心がすごく楽になったとか、ちょっと悩んでたことが少し見方が変わったみたいなので。
栃尾ふーん。
野田それが衝撃だったんですよ。
栃尾そうなんだ。
野田そう、だから、そこ大転機ですよ。
栃尾そうだね。
野田そこで、まさかのそれで仕事を辞めたんですよ。
栃尾(笑)感動して? 速攻で?
野田そう、いや、なんかね、「勉強したい」って思ったの、そこで。それで色々調べたら、「勉強は仕事しながらじゃ無理だな」っていうことに気付いて。
栃尾ふーん。
野田でも、その仕事もいい仕事だったんですよ。今でも、「またやりたいな」って思えるぐらいいい仕事だったんだけど。
栃尾うん、うん。
野田でもなんか、こう、「やりたい」って思ったんだよね。しかも、誰かのために体とか心の、まあ、体のケアをするなら、その時はね、自分の心もしっかり……、体も心もケアしなきゃいけないっていう、何て言うのかな、使命感っていうか。
栃尾へぇ。
野田「人に提供するなら、自分ができてないと」っていうのをすごい思ったんだよ。
栃尾それは大事だよね、でもね。
野田そう、大事よね。
栃尾うん、うん。
野田そこで、私も「よくあの時辞めたな」って思うんですけどね。
栃尾でも、そんなもんよね。
野田辞めて、でも、あの思い切りがあったから、ずっとこういう自然療法の世界とか、心の世界にずっといるんだと思うのね。
栃尾そうね。
野田そうなの。
栃尾そっか、そっか。
野田それね、もう16年前よ。
栃尾うん、うん。それではですね、その詳しいマンダラとかね、味方学とかね、まあ、エンディングノートとかいろいろと面白そうなキーワードがありましたけど、それぞれは次回以降にまた、ちょっと詳しくお伺いできればなと思います。
野田はい。
栃尾じゃあ、今日はこんなところで、恵里さんの紹介ということでね、終わりにしたいと思います。
野田はい。
栃尾以上、栃尾江美と。
野田野田恵里でした。
<書き起こし、編集:折田大器>