我慢をするかしないか。
苦労をするかしないか。
自分がどうしたいか、部下にどうさせたいか、子どもにどうさせたいか、価値観はさまざま。
実際、どういう選択肢がいいのだろうか。
苦労を乗り越えるような美談
苦労を乗り越えれば楽しくなるとか、1万時間の法則とか、継続は力なりとか、苦労は買ってでもしろとか。
苦労話を美談にする向きは、昔から強くある。
自分が苦労をしてきたなら、部下や子どもにも苦労をさせたいと思う人が多い。
苦労があっても続けられるとき
自分に置き換えて考える。
私はわりと好きなことをしている方だが、その中にも苦労はある。
朝5時に起きて原稿を書かなくてはいけないこともあるし、納得いかない直しをしなくてはいけないこともあるし、最近はあまりないけど取引先から怒られることもあった。
苦しいことがあってもなぜ続けていけるかと言えば、楽しいことをやるためだから。
楽しいことの中に、苦しいことがあるのは仕方ない。
外遊びで走り回ってるのは好きだけど、走ったら暑いし息苦しい。でも楽しいからやる。それと同じだと思う。
でも、楽しいことがないのにただ暑くて、ただ息苦しいのはやりたくないに決まっている。
最初が楽しいってことがポイント
スポーツや勉強などでは、スランプもある。
途中、苦しいだけでぜんぜん前に進まないような気持ちになる。
それでも続けられることには、「最初がめちゃくちゃ楽しかった」っていうポイントがある。
歴史にハマった、スポーツにハマった、将棋にハマった、等々。
苦しくなる前に、ハマったり楽しくなった経験があるのだ。
最初を楽しくする工夫
何か始めようとするとき、とにかく楽しい経験が必要なんだと思う。
それをコントロールできるのかはよくわからない。やってみてハマるかどうかは、事前になかなかわからない。
でも、それをコントロールしようとしたのがいわゆる「下積み」なのではないか。いいか悪いか別にして、例えば料理人になる下積み時代に、掃除からさせる。包丁を持つことにずっとあこがれる。いずれ包丁を持てるようになったら、持てるだけでとても楽しい! みたいな。
まずは、あこがれを持たせることは、好きになり、苦労も乗り越えられるポイントかもしれない(仮説)。
<見出し画像イラスト&デザイン:金子アユミ>